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きみのて ぼくのて

8 モノクローム
俺は、たった一度だけ仮面を剥ぐ決意をした。

「こんにちは、山本クン☆」
玄関のドアを開けた山本の前には、曇り一つない笑顔の結城が立っていた。
「え、ゆ、結城…っ?!」
山本は、思わず半歩後ずさりした。意外さと、疚(やま)しさからだ。
「な、何で、お前が…」
「えー?そんなの、職員室に忍び込んで名簿見れば住所なんてすぐ分かるよー。そんなことより、ボク山本クンに聞きたいことあるんだけどさー」
山本の背中には、じわりじわりと汗が現れ始めた。
「え、えっと…部屋上がるか…?」
「ううん、すぐ終わるからいいよ。えっとねー…」
結城が鞄の中を弄(まさぐ)っている間、山本は生唾を飲みながらドアを後ろ手に閉めていた。
「あー、あったあった。ねえ…」
結城は、少し山本に歩み寄って、ソレを見せた。
「コレ、何だか分かる?」

ソレを見た瞬間の、山本の表情は引き攣(つ)っていた。そして、視線を逸らす。
「わ…悪かった、結城…っ、勝手にそんな手紙書いちまって…」
「えー?何のことー?」
結城は、平然とした表情で山本に尋ねる。
「…は?」
「そうじゃなくってー、ボクが言ってるのはこっちだよ、こっち」
結城は手紙を持っているのとは反対側の手で、手紙の端を指差した。
「この手紙に何箇所かぽつぽつとついてる、この赤いシミみたいなの、何だと思う?」
「シミ…?」
山本は、ゆっくりと手紙に目を遣る。手紙には数箇所、赤黒い斑点があった。
「こ、これって…まさか…血…?」
零すように言葉を発する山本に、結城は更に顔を近づける。
「えー?なあに?よく聞き取れなかったんだけどー…」
「ち…血じゃないかって言ったんだよ…だ、誰か、の…」
額からも汗を滲まれる山本。その身体は、家の扉にぴったりくっつくぐらい後ずさっていた。
「そっかー、血かー。なるほどねー…あ、そうだそうだ」
結城は山本から少し離れてみせる。と言ってもその間合いはかなり近いのだが。
「トモがね…ああ、麻倉クンがね、さっき手首をケガして入院しちゃったんだー」
「なっ…」
目を見開かす山本。結城は、ジーンズの後ろポケットを探りながら言う。
「さっき意識を取り戻して、命に別状はないらしいんだけど、とりあえず何日かは入院しなきゃいけなくなったんだよねー。あ、でもー…」

ガンッ!!!

「見舞いになんか来よったら、ぶっ殺したるからな」
「…っ?!!」
一瞬、山本は何が起こったか理解できなかった。というか、思考回路を含めて身体中の全機能が停止してしまったような心地だった。
恐る恐る視線を右に動かすと、自分の顔のすぐ横の壁に、サバイバルナイフが突き刺さっていた。
そして視線を前に戻すと、それまで人懐っこい笑顔を見せていた結城の眼が、感情や温度といったものを微塵(みじん)も感じさせない、強いて言えば底知れない恐怖を湛(たた)えたようなそれに変化(へんげ)していた。
まるで、先刻まで其処に居た「結城 望」という人間が、全く別の、夜叉の如き男に取って代わってしまったかのように。
「自分の言動がどんな結果を齎(もたら)すかっちゅうことに責任も取れへんような奴が、のこのこアイツを見舞って剰(あまつさ)え謝るような容易(たやす)いことをしようもんなら、俺はこのナイフでお前の左胸を裂いたるからな。覚悟しとけや」
その声色は、それまでの少し高めのものから、心の底を抉(えぐ)る程の感覚を憶える程の低いものになっていた。
山本は、言葉にもなっていないことを呟きながら、眼をすっかり見開いてその場にへたり込んでしまった。
結城は山本に背を向け、手紙を両手で引き裂くと、再び山本の方に振り向いた。またいつもの、高い声と、爽やかな笑顔で。
「そうそう、今日此処であったこと、誰にも内緒だよ?ボクは、まだもう少しは”ふつうの"男の子で居たいからねー」
山本は玄関の前に座り込んだまま、身体を小さく震わせている。
「それじゃあ、またね。ばいばーい☆」
結城は屈託無い笑みで手紙の破片をばら撒くと、さっさとその場を立ち去っていった。
山本は何も言えず、ただ目の前で舞い散る紙吹雪を眺めていた。

(…ホンマは、一発殴ったるつもりやったんやけどな…)
結城はふと立ち止まり、拳を握って見た。
(でも、今山本を殴ったら、たぶんトモが疵付くから…って心から思うのは、やっぱトモに絆(ほだ)されたってことなんかなあ…)
ふと中空を見上げる結城。
(…ま、ええか。さて、明日はどないしよかなー…)


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