トライ・トーン
File2 高みを目指して「…そうか」
「え?」悠樹のつぶやきに、ふと振り向く深穂。「もしかして悠樹君、何か分かったの?」
「…はい、分かりました」凛とした表情の悠樹。「犯人が、どこの駅に来いと言っているのか」
「ほ、本当ですか?!」美弥子は思わず声のトーンを上げる。「そ、それって、一体どこなんですか?」
「まず、ボクはこのメッセージの“せ”の字がひらがなになっているのが気になってました。“身長が低い”という意味なら、当然“背が低い”と表記する筈です」
「確かに、そうですね…」美弥子が言う。「ワープロで打ってんだから、なおさら漢字変換は簡単ですもんね」
「じゃあ、なんでひらがなで書いたの…?」と美園。
「それが、この暗号を解くヒントだからですよ。何か書くものありますか?」
「書くもの?」美弥子は鞄を開けて探る。「…あ、このペンでいいですか?」
「あ、はい。ありがとうございます」美弥子からペンを受け取る悠樹。「“せ”がひらがなだったのは、こういう意味だったんです」
新幹線、桂東(けいとう)線、桂東栗谷(くりたに)線。悠樹は路線図の路線のうちそれらを、ペンでなぞった。
「…あ、これ」美園が目を見開いて言う。「ひらがなの“せ”の字の形…」
「あっ、ホントだ!」と深穂。「これを示したかったってわけね」
「はい、恐らくは」悠樹はペンのふたを閉めながら言う。「そしてもう一つのキーワードは、“最も低い”です」
「“最も低い”…?今の“せ”とどういう関係があるの?」
「ポイントは、鉄道で終点から起点のほう、大雑把に言えば東京駅に向かうほうを“上り”と呼ぶということです。逆に言えば、東京駅から遠ざかるほうが“下り”ですよね。一般に“下って”いくほうは高いですか?低いですか?」
「え…低い、ですよね…?」と美弥子。「あ、そうか!」
「そうです。“最も低い駅”ということは、最も“下り”のほうにある駅、ということになりますよね。今なぞった“せ”の字の形にある駅の中で、東京駅から一番遠いところにあたる、つまり“せの(中で)最も低い駅”は…」
悠樹は、路線図のうち1つの駅にマルをつけた。
「この、柏原(かしわら)という駅ということになりますよね」
13時07分。柏原駅。
「この駅ですね…」恐る恐る改札を出る悠樹。
「ず、随分と意気込んでますね…」美弥子は心配そうな表情で悠樹を見る。
「はい…人の居ない改札って慣れないもので…」
「って、そっちなんですか」思わずツッコむ美弥子。「それにしても、此処で何をしようっていうんでしょうか…?」
「犯人の顔とか知ってたりするの?」実はこちらも忍び足で自動改札を抜ける深穂。
「いえ…今朝の手紙で初めてですから…」きょろきょろと周囲を見廻す美弥子。「…あれ?」
「どうしたんですか?」
「あそこのコインロッカーに、さっきと似た封筒が貼ってあるように見えるんですけど…」
美弥子が指差す先には、女性一人が切り盛りをしている売店と、質素なコインロッカーがあった。
「うわー…大きい箱ですね…」コインロッカーの前まで近づき、それをまじまじと見上げる悠樹。
「って、話はそっちじゃないでしょ」深穂がロッカーに貼ってある封筒を剥ぎ取る。またもや“桜本様へ”と書かれている。「確かに、さっきの封筒とそっくりね」
「じゃあ、中身は…」美園がぽつりと言う。
「開けてみましょう」悠樹は封筒を開け、中から1枚の便箋を取り出した。「こ、これは…?」
「また、暗号みたいですね…」と美弥子。
不可解な文字列、その上には2つの絵。いかにも暗号という雰囲気を漂わせていた。
「これってやっぱり、犯人の次の指示ってことよね…?」深穂が言う。
「だと、思います…」便箋を見つめる悠樹。「上に描いてあるのは、馬…?それと、これは独楽(こま)ですよね?」
「ねえ」と深穂。「この独楽に描いてある矢印って、もしかしてこの文字を読む順番なんじゃない?」
「あ、なるほど、そうかも知れませんね!」悠樹は声を大きくする。「ということは…“うえむきをまじえつのすとうおありくをーさんせねつ…”」
「…違う、みたいですね」苦笑する美弥子。
「んー…わかんないなぁ」深穂はふと、ロッカーの隣にある売店に目をやった。「あ、もしかしたら、あの人が誰か怪しい人とか見てたりしてないかしら?」
「あ、そうですね。聞いてみる価値はありそうですね」悠樹は売店の女性に声をかけてみる。「すみません、ちょっとお聞きしたいんですけど…」
「なあに?」女性はやや気だるそうに、しかし人の良さそうな顔で応える。
「このロッカーにこんな封筒があったんですけど、これを残していった人を見たりしてませんか?」
「そうねえ…この店忙しいから、キミに今話し掛けられるまでそんなのが貼り付けてあったなんて気付きもしなかったわ」
「そうですか…すみません、ありがとうございました」
「こっちも外れ、ですか…」落胆した様子の美弥子。「じゃあ、大人しくこの暗号を解くしかないみたいですね」
「うーん…」しばらくロッカーの前で立ち止まり考え込む一同。
そうした喧騒の中の沈黙が1分近く続いた後、一同に近寄る影があった。
「あれ?もしかして悠樹君さ?」
「え…?」不意に呼びかけられて顔を上げる悠樹。「…あ、羊谷、さん…?」
悠樹の視界に飛び込んできたのは、モノトーンの服とシルバーアクセサリーをまとった青年、彼が当初会いに行く予定だった麻倉 知之の友人、羊谷 時哉の姿だった。その腕には、服装とは少しそぐわない薄茶色の本屋の紙袋が抱えられていた。
「こんなとこで、何してんのさ?」