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かぜのうた

第19章 真実の無風

今日は1月17日、水曜日。私は昨日の疾風の言葉を、また思い出していた。みんなにはかなり驚かれたけど、「疾風がこの方がいいって言ったから」の一言で、みんな納得してくれた。私は、まだ疾風の意図をつかみきれていなかった。どうして、いきなり…。
その日の放課後、私は時計塔に向かった。時計塔の中に入ると、もうそこには疾風がいた。疾風は、私のほうに歩み寄ってきてくれる。
「昨日は、いきなり…ごめんな」
「ううん、それはいいの。だけど…どうして、急に?」
疾風は何も言わなかった。そして、手に持っていた「何か」を私に付けてくれる。
「この方が、似合うから…」
私には、何となくしか何をされたか分からなかった。でも、たぶん間違いないという確信が、私の中に芽生え始めていた。ここまでされて、やっと分かった。
「ねぇ、疾風…まさか」
疾風は何も言わずに、時計塔の扉を開けた。誰もいない。ただ、ここのところずっと変わらない冷たい風が、時計塔の中にまで入り込んでくる。
「寒いかもしれないけど、開けておいて。そうしないと、俺の声が聞こえないと思うから」
それだけ言うと、疾風は1人で外に出て行った。やっとその意味が分かった私は、とにかく震えていた。心の底から、落ち着かなかった。
どれだけ時間が経ったか分からない。ふと、外から声が聞こえてきた。
「ああ…来てくれた?」
これは疾風の声だ。この声を聞き間違えるなんて事は、絶対にない。
「…何の用?」
途端に私は凍りついた。…この声…まさか…まさか!
「警察は鏡野彩芽の怪死を鏡野爽先生の犯行として、その鏡野先生の死を自殺として、処理しようとしている。でも、俺はそれが正しいとは思わない」
ああ、やっぱりそうなんだ。疾風は「真犯人」と対峙しているのだ。そしてその人は…。私はそれ以上考えたくなかった。私のトリックが違っていたっていうこと?「この人」が真犯人だっていうこと?もう、私には考えられない。黙って、疾風のいう事を聞くことにする。
「…そう?あの状況で犯行が可能なのは先生だけじゃないの?」
「いや。警察が考えている犯行過程じゃ説明できないことが二つある」
そんな…私が見破ったはずのトリックに、2つも穴があるなんて!
「1つは『かぜのうた』が書かれた紙だ。あんなものを元から彩芽が持っていたとは考えにくい。仮に鏡野先生の犯行だとしたら、先生はあの部屋から出ていないことになる。そんな先生が、器用に死体の胸ポケットにあの紙を入れられるわけがない。あの紙がある以上…風花の怨念説を捨てるなら…犯人は屋上に、彩芽と共にいたと考えるしかない」
でも、それは…あまり積極的な証拠じゃない。今疾風と向かい合っているこの人も、きっとそう思っている。
「そう?鏡野先生くらい被害者と親しい人なら…何せ父と娘なんだし…学校に来る前から胸ポケットに入れておいてもいいんじゃないの?」
「確かに、その可能性は否定できない。それに…これは、それよりも可能性としてはもっと低いが…彩芽が意図的にあの紙を服に入れていた可能性も、ゼロであるわけじゃない」
自分で言った説を自分で否定してどうするのよ、疾風。
「でも、もう1つの証拠はかなり決定的だ。…指紋だよ」
「指紋?先生の指紋なら、残っていなくて当然だろう?」
「俺が言ってるのは先生の指紋じゃない。彩芽自身の指紋だよ」
彩芽の…指紋?疾風が何を言っているのか、まだ私には分からなかった。
「先生が犯人だと仮定すれば、先生は彩芽に電話をかけて、彩芽に下を見るよう指示する…さて、そこで彩芽は下を見ることにする。彩芽はどうする?」
「どうする?それは、フェンスを上って…!」
そうだ、フェンスだ!屋上にある金網状のフェンスは、高さが2メートルくらいあって…。
「そう、フェンスを『上らなくちゃ』いけないよな?俺たちはドライランドに住む巨人じゃないんだから…まして彩芽は普通の女子高生だ…フェンスを上らざるを得ない。そして、当然それに手をかける…おかしくないか?警察の発表ではフェンスにも指紋は一切ないんだろ?これがもし、先生が理科準備室の中から行った犯行だとしたら彩芽の指紋が残っていないわけがない。彩芽の死体は手袋もしていなかったしな」
そうだ…物言わぬ彩芽の白い指先は、私も気を失う直前に目にしていた…。
「そうなれば可能性は2つだ。1つは、彩芽は死ぬ前にフェンスに触れたが、その指紋は犯人が消してしまった場合。でもそんなことをするメリットはない。だとすれば、残るのはもう1つの可能性だ。すなわち、彩芽はそもそもフェンスに触れていない」
ああ、それじゃあ、私の考えは全く違っていた…。時計塔の外から、「その人」の声がする。
「…それならまた不可能犯罪に逆戻りじゃないか?」
「いや、そうでもないぜ。まだ方法は残っている」
…本当に?まだ方法なんて残ってるの?
「実は警察の考えも半分は当たっているんだよな。だけど、肝心の方向が違った」
肝心の方向…それって、一体何のことだろう?
「文字通り方向が違うんだからな…立場が逆だったんだよ、本当は。彩芽は犯人に下から射抜かれたんじゃない。彩芽は犯人に『上から』射抜かれたんだ」
う、上から…?その言葉を聞いて、私の心は一瞬動くのをやめたような気がした。でも、逆に私の頭はいっそう動き始めていた。
「そう、犯人は彩芽より先に時計塔にあがっていた。時計塔に北向きの窓があるのは、当然知ってるだろ?あとはほとんど鏡野先生犯人説と同じ。犯人はそこから電話をかけて、校舎側の出入り口から屋上に来たばかりの彩芽に、上を見るように指示する。彩芽が上を見た瞬間に、額に向かってボーガンを撃つ…」
あまり上を見上げすぎていなければ、ボーガンの入射角度は上から下になる…。
「彩芽は後頭部を扉にぶつけて倒れた。犯人は死体の胸ポケットに例の紙をいれ、屋上から出ようとする…ただ、ここで犯人は、この犯罪を不可能犯罪めいてみせる新たな計画を思いついた。…結果的にはそれが原因で、犯人は1人に絞られるんだから、皮肉だけどな…」
そうか、そういう事か…。今ここで、疾風と向き合っている人が分かっている私には、その方法も見えてき始めていた。
「さて、じゃあ犯人はどうやってこの『準密室』から抜け出したか」
あ、ほんの10日くらい前には全く知らなかった言葉を平気で使ってる。
「それはもちろん、理科準備室しかない。犯人はあそこに飛び降りただけさ。あそこに人が飛び降りれるだけの幅がある張り出した部分があるのは、当然知ってるだろ?コンクリート製ならそこまで大きな音はしない。可能性としては非常階段もあるけど、あそこにはずっと市立図書館の人がいたし白沢さんも作業のために顔を出している。あそこへ飛び降りるのは無謀だろう…同様に、理科準備室も無謀に思える」
たしかに、一見無謀だ。中には少なくとも鏡野先生がいる。
「そう、中に鏡野先生がいる理科準備室に飛び降りるんだ。かなり大胆な賭けだったと思う。でも、犯人には十分な勝算があった。鏡野先生には一度熱中すると周りが見えなくなる人だった。そして、その日の朝には偶然にも、化学に関する臨時の論文がアメリカから飛び込んできていた。先生はそれに熱中して、きっと自分がそんなことをしても気がつかないだろう。先生の机は南向きだ…つまり窓とは反対方向を向いている。校舎の北側にはK山しかないから、誰かに見られることはまずない」
疾風は一息ついた。
「そんな事を事前に知りえたのは、あんたしかいないじゃないか…萌葱将弥」


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