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ときのうた

Day 4 〜ステージ・パニック〜


「僕も、誰かがやってくれたことに応用をかける方が得意です。」
ニコリ『パズルBOX7』より

…例えば、「情けは人のためならず」って言葉があるじゃない。割と多くの人が勘違いしているみたいなんだけど、あれは「情けをかけるとその人のためにならないから、情けをかけちゃいけない」っていう意味じゃないの。あれは「情けは人のためならず、己のためなり」みたいな感じで、つまり「情けをかけるのは人のためではなく、もちろん純粋に人を助けたいという動機からだが、そのことに恩義を感じた相手が次は自分に情けをかけてくれるかもしれない」って、そういう意味なんだよね。つまり、そういう意味では情けはかけてあげたほうがいいのよ。それにやっぱり、すげなくにべもなく断られるのはショックだよね。ちなみに「すげなく」は漢字で「素気無く」って書くの。それから「にべもなく」の「にべ」っていうのは魚の浮き袋から作られる膠(にかわ)のこと。膠は…ほら、膠着状態、っていうでしょ?…粘り気のあるものだから、そこから「にべもない」っていうのは粘り気の全然無い…愛想が全く無い、って意味になっているのよね。
あとね、日本人は「依存性性格者」が多いっていわれるの。依存性性格者っていうのは、簡単に言うと二面性のある人で…一方から見ると、とても優しい癒し系の人。もう一方から見ると、無責任で頼りない人。つまり一方では、すごくいい人なのよね。献血とか募金とかにも協力的らしいし、すっごく優しいから些細なことなら相談するとすごく助けてくれる。でも…そういう人たちには「自分が無い」ことが多くって、とても責任を伴うようなことからは逃げ出しちゃうことも多いの。…もちろん、私がそんな性格だ、なんていってるんじゃないよ?私は…ちゃんと、一回何かを引き受けたらそれを最後までやり通すんだから。
そう…巻き込まれないなら、自分からそこに飛び込む必要は無いよ。でも、巻き込まれたらその中で自分の役割を演じるしかないじゃない?それは朱芳慶尚も言っていることだし。

「なんか…初期のビビみたいだね…。それで?結局断れなかった、って事?」
疾風が私を見ながら言う。心なしか、疾風の視線は冷たい。
「……うん」
私はしおれる。それは、でも、私だってちょっとは頑張ったんだよ?
「全く…美寛は八方美人なんだよ。美人じゃないくせに」
璃衣愛がひどいことを言う。…私は美人というよりカワイイ女の子なの!!
「ふ〜ん…まあ、いいじゃないですか。折角だし、行って見ませんか?」
実玖が加勢してくれる。
…あ、ごめんね。私たちが今、何の話をしているかというと、あるお芝居を見に行くって話だったの。…それが、劇団でバイトしている私の友達から急に連絡があって…自分も初めて出演できるから、見に来てくれって。私は、今は遠くから友達も来ているし…なんて濁していたんだけど、結局押し切られてしまったの…。
「それに、それが終わってからでもどこか見物には行けるでしょう?」
結局、実玖のおかげで璃衣愛も疾風もOKしてくれた。というわけで、今日はY市の文化ホールに行くことになったの。

「よぉ、雪川!久しぶりだな」
文化ホールの前で、ビラを配っていた男が私に声をかけてきた。真っ黒に日焼けしているけど、シャツの下からは白い肌ものぞいていた。彼の顔を見て、疾風も反応する。
「えっ…美寛、昨日の電話って出水だったのか?」
うん、そう。…彼の名前は出水盛雄。「いずみ」と「もり」だなんて、大自然にあふれた名前だ。彼と私は小学校の頃からの友人…というか知り合いというか、微妙なところだけど。もちろん、疾風もそう。彼は実直で賑やかな人なの。同窓会とかを企画してくれるから助かるけど、こういうお願いもたまに来るからなぁ…。盛雄は疾風に近づき、疾風の肩をバンバンと叩いた。
「おいおい、お前は月倉じゃないか!お前、何ハーレムしてんだ?イイ女ばっかり、うらやましいじゃねえか!」
「…ひどいな」
低い声が漏れる。一瞬疾風の声かな、とも思ったけど、疾風の声じゃない。
「俺は男だよ」
振り返ると、それは実玖の声だった。180センチ近くある盛雄を見上げながら睨んでいる。…実玖って出そうと思えばそんな低い声も出せるのね…。しかもわざと男言葉で、わざと「俺」なんだ…。実玖のささやかな抵抗が、私にはちょっぴりおかしかった。璃衣愛も横でクスクス言っている。
「えっ、マジ!?…こりゃ失礼」
思わず盛雄はのけぞる。…まあ、今日の実玖は黄色のTシャツに白い綿パンと言う、女の子でも着そうな服だからなぁ。まして今日の太陽で、実玖の頬はちょっぴり赤くなっていたし。盛雄にはチークに見えたのかもしれない。
「とりあえず入って、見ていってくれよ」
私たちは日差しを避ける意味もあって、すぐに文化ホールの中へと入った。

「かわいい実玖ちゃん?ご機嫌斜めだね〜。姫ちゃんみたいに、リボンでも付けてあげようか?」
「璃衣愛ちゃん、からかわないでくれます?」
璃衣愛は実玖の頭を撫でている。実玖はぶすっとしていた。
「よかったな、実玖。ここがミッドガル6番街じゃなくって」
疾風の言葉をきいて、実玖が思いっきり疾風を睨む。
「…疾風さんまで、そういう事を言うんですか?」
「何?『俺とキルマシーン』の準備中?」
実玖は右手の指を鳴らし、それを右耳に持ってきたままそっぽを向いてしまった。こんな実玖も珍しいかも。
「…あれ?美寛!?」
その声に私は前を見る。そこにいたのは…詩織?
「え?…ねえ美寛、あれ…野々宮じゃないか?」
「うん、そうだよ。…きっと詩織も、盛雄に呼ばれてきたのね」
私たちは詩織の方に近づく。野々宮詩織も、小学校時代からの私の友達。今は、同じく小学校時代からの友達、秋川遥と一緒に私と疾風をからかうことが多いけど…。遥と詩織と私、それに疾風も高校では同じクラスなんだ。
「もう、美寛は…こんなところにまで、私に美寛と月倉君とのノロケぶりを見せ付けに来たわけ〜?」
案の定、私と疾風との冷やかしから入る。でも、もう慣れっこ。
「ま、そうかな〜。それに今日は、Wデートだし」
「え、Wデート!?…そう言えば、後ろの2人は誰?」
「ん?あの2人は、ほら、5月に交換留学があったでしょ?私たちが星降高校にいった時、向こうで知り合った2人」
実玖と璃衣愛も、私たちのほうにやってくる。
「え、じゃあ2人は…五十崎くんと、新宮さんのクラスメート?」
その言葉に璃衣愛は驚いたようだった。
「えっ!?何でその2人を知ってるの!!?」
「璃衣愛ちゃん…2人は5月に、こっちに交換留学で来てるじゃないですか。美寛さんと疾風さんとの入れ替わりで」
「あっ…そっか…」
璃衣愛はちょっぴり舌を出す。詩織は笑いながら言葉を続ける。
「もう、あの時は平和だったよ〜。超ノロケの美寛がいないだけで、こんなに気持ちが晴れるんだ〜、って」
「詩織〜?それ、どういう意味?」
私は詩織に突っかかる。
「悔しかったら、詩織だって彼氏とラブラブになればいいのよ」
詩織は一瞬でムッとした表情になった。ちなみに詩織は、割と可愛い方だけど、今まで彼氏がいた事はない。本人はそれをすっごいコンプレックスにしているの。
「あの…とりあえず、部屋の中に入りませんか?」
実玖がそこに割り込んできて、とりあえず一時休戦になった。まあ、これくらいいつもの事だから気にしないでね。

私たちは前から3番目、舞台からみて右側の方に、みんなで並んで座った。5人掛けで、中央の通路側に詩織、そして私、疾風、璃衣愛、実玖の順番。実玖の左側が、ホールの左端の通路、という事になる。実玖と璃衣愛は2人で話しているし、疾風は目を閉じている。私は詩織と話していた。
「やっぱり詩織も、盛雄に呼ばれた?」
「うん。あいつ、この劇団でバイトしてて、やっぱり下っ端みたいだね。客寄せとか舞台の準備ばっかり、って」
「でも今日は舞台に出演するって言わなかった?」
「うん、言ってた。といっても舞台の奥のほうで基本アドリブ、とか言ってたよ」
「ふ〜ん、大変だね」
私がそういうと、詩織はカバンから今回の舞台のパンフレットを取り出した。そのパンフレットは、何かの本に挟まっている。…え、何でそんな本…?
「ねえ詩織?詩織ってば、いつの間に推理小説を読み出したの?」
そう…その本は新潮文庫版の「シャーロック・ホームズの帰還」だったの。でも、そう言われた詩織は笑って首を横に振る。
「え?…ああ、違うよ、これ。…何か、さっき入り口で盛雄に渡されたの。『始まるまで時間もあるし、暇つぶしに読んでみたらどうだ?まあ、最初の秋の何とかは面白くないから読み飛ばしていいと思うけど』って」
私は頷く。きっと「空き家の冒険」、または「空家事件」ね。…でも、ちょっと待ってよ!あの事件は、ライヘンバッハの滝にJ・モリアーティ教授と落ちたとされるシャーロック・ホームズが帰還するかなり有名な事件で、それを読み飛ばせだなんて…盛雄は分かっていないなぁ。シャーロキアンの意見が分かれる最大のポイントの1つなのに…。それにしても、盛雄も推理小説を読むんだ〜。なんだか意外な気がした。
「私、美寛みたいなミステリオタクじゃないから。…ちょっとお手洗いに行ってくるね」
詩織も遥も一言多い。私が言い返す前に、詩織は席を立ってしまった。私は疾風のほうを向く。疾風は目を開いていた。
「盛雄が推理小説、ねえ…渡す相手を間違えてないか?」
「疾風、私はもう読んだことがあるから」
「ちなみにどんな本なの?」
疾風は詩織のカバンから勝手に本を取り出し、パラパラとめくっていた。そしてすぐに、本を元に戻す。
「ふ〜ん…俺でも聞いたことがあるような話は1つしかないな」
「ねえ、疾風くん、ちょっと…」
璃衣愛が疾風に何かを囁く。その会話が終わるとすぐに、疾風が私に囁いてきた。
「美寛、璃衣愛から暇つぶしに、だって。よく聞いてなよ?」
璃衣愛から…って事は、またひどいクイズね…。
「ある男の子が、彼の父親と一緒にバイクに乗っていたところ、事故にあいました。男の子の父親は即死、男の子は重傷で病院に運ばれました。ところが、男の子の手術にあたった外科医は、『この子は私の息子だ!』と言うのです。どうしてでしょう?ただし、男の子の手術にあたった外科医は男性です」
思わず「お母さん!」と答えそうになった私は、最後の文章で慌てて口をつぐむ。…そんな、外科医の先生は男なの?でも…どうせ璃衣愛のことだから、バカな答えなんだろうなぁ…。
「途中で男の子が変わってる、とかないよね?」
「ああ、最初から最後まで男の子は一緒」
「まさか、男の『父親』も『母親』も、両方男だったとか!?」
疾風は思わず吹き出して、首を横に振る。ちなみに、アメリカとかなら、同性愛の人たちが結婚して養子を得るというケースも無いわけじゃない。でも、さすがにそれは…余りにヒドイ、か。じゃあ…。
「璃衣愛のことだからさ、どうせ外科医が幽霊だった、とか言うんでしょ?」
「違うよ、美寛。そういうのよりは遥かに現実的な答えがあるよ」
「え…?何、疾風?教えて!私、こういうタイプの問題は考える気にならないの」
「そう?…答えはさ、センプ」
「えっ…?センプって、何?潜水夫の事?」
「ふふ…違うよ、美寛。先の夫で先夫。実父と養父、でもいいかな。男の子を手術した外科医が本当のお父さんで、その後に彼と母親が離婚して、母親が息子を引き取って…そして、交通事故で死んだお父さんはその後母親と再婚した『お父さん』ってこと。これなら…法律的な言葉遣いでは問題があるかもしれないけど…幽霊よりは納得いくでしょう?」
問題自体に納得しません!その時、詩織が戻ってきた。と同時に、ブザーがなる。
「あ、始まるみたいだね」

劇が始まった。といってもアングラ的でもアバンギャルドな感じでもなくって、かなり正統派って感じ。主人公は大学生くらいの女の子。ある日公園で倒れた(貧血?)ところを男性に助けてもらって一目ぼれする…っていう、ありがちといえばありがちな展開。それで、彼女は「何とか彼に、自分のカッコイイ所を見せたい!」と思って、ダンススクールに通い始めるの。そこで友達になった同世代の女の子に、彼女は色々と相談する。
あ、それで盛雄の端役って言うのはね、このダンススクールの他の生徒だったの。主人公とその女友達が相談事をしている間、後ろで気ままに踊っている男3人組のうちの1人って役。2人の女の子は並んでアイスを食べている。そして盛雄はというと、何だか変な手の振りを繰り返していた。右手を上に上げて、グーチョキパーを繰り返しているみたい。もう1人はゆっくりと手足を動かしていて、何だかサボっている感じ。最後の1人は普通に、モダンなステップを踏んでいる。この人が一番、踊りは上手いなぁ…。
主人公の相談相手の女の子は、カバンから缶の「おしるこ」を取り出す。…アイスを食べた直後なのに…?でも、普通に飲んでいるから、きっと好きなんだろうなぁ。一方の盛雄はさっきと手の振りが変わっていた。両手を水平にしてから重量挙げのように90度曲げて、両手を上に伸ばして今までグーだった両手をパーにする…何かの基本動作なのかな?それからサボり気味の男の人が、急に軽やかなステップを踏み出した。タップダンス、みたい。もう1人の人は、変わらずステップを踏んでいる。しばらくしたところで、舞台の前にいる2人が立ち上がる。男性に逢って、こういう話をすれば、遠まわしにでもこんな風に好きだって伝えれば…そんな話を終えたところだった。男3人も踊りながら退場していく。その後は、主人公の女の子が、再び例の男性に会うシーン…。2人はかなりいい感じになって…お互い抱き合ったりしてから…別れるの。私がふと横を見ると、詩織がもうウルウルきている。…あのさ、詩織はそんなに愛に飢えているの?私と疾風なんて、毎朝登校するときはこんな感じなんだけどな…。
舞台は再びダンススクール。そこではやはり、前に2人の女の子、後ろに盛雄を含む3人の男。前の2人は照り焼きバーガーを食べていた…って、よく食べるなぁ…。一方男たちは例によって、気ままに踊っている。盛雄はさっきと似たような手の動きをしていた。両手を腰にあててから、まず左手を前に。次に右手を前にしてその両手を胸の前で合わせる…という動きを繰り返している。タップダンスの彼もさっきと似たようなステップをしている。でも足さばきがさっきよりずっと軽やかだ。きっと練習して上手くなった、という設定なんだろう。一番踊りの上手い彼は、どうやらバレエの真似をして遊んでいるらしい。さて、ここでストーリーは急に大きく展開する。ヒロインが自分の追っている男性の特徴を話すと、横で話を聞いている女友達が急に固まっていく。ヒロインはその様子に気付く。「どうしたの?」その言葉に、友達は一枚の写真を見せる。「もしかして…この人?」ヒロインはそれを見て心底驚く。「うん!!この人だよ!!!…どうして、こんな写真が…?」そう言ってすぐに、ヒロインは席を立って、数歩後ずさる。友達はヒロインのほうを見て、叫ぶように言う。「この人は…私の…私の彼氏なんだから!!!」
それから後は、いわゆるちょっとした修羅場。私と疾風は今まで経験したことのない…たぶんこれからも経験しないような事だった。でも…きっと私も、誰かと疾風を巡ってケンカしたら、こうなるよね…。私はふと先月終わりから今月初めのことを思い出して、赤面してしまった。あの時…もしお姉ちゃんが何か言い返していたら、こんな喧嘩になったのかな…?あ、でもあれはちょっと違うか。結局2人は喧嘩別れ。一方の盛雄たちは関係なさそうに、踊りを続けていた。タップダンスの彼には手の振りが付いている。どうやらフラメンコっぽいけど、衣装がジャージなので全然上手に見えなかった。一番踊りの上手い彼は、腹筋や腕立て伏せを始めた。盛雄は相変わらず変な手振り。両手を直角に曲げて、そこから水平に戻す。左手を前に持ってきて右手を上に上げグーとチョキを作る。また両手を自分の横で直角に曲げて、両手を腰に当てたかと思うとすぐに両手をグーにして上に突き上げる…そんな動作だった。そのまま舞台は暗転して、夜空の広がる公園になる。そこにはヒロインの女の子、そして向こうから歩いてくる、憧れの男性とその彼女…今まで自分の相談に真剣に応えてくれた、女友達…。ヒロインは、男に向かって叫ぶ。「お願い!私、貴方の事が大好きなの!!あの日みたいに、私のことを抱いて!!!」女友達も男に向かって叫ぶ。「私のほうが、貴方を愛しているの!!お願い、行かないで!!!」男は舞台の中央に出る。上手にヒロインが、下手に女友達がいる。2人の女性はともに、客席の方を向いて祈るような格好で目を閉じている。そして舞台は暗転…スポットライトだけが、彼ら3人を個別に照らす。男は客席を見て言う。「ああ、俺はどうしたらいいんだ!?俺はどちらも愛している…どちらかを選ぶことなど!!」そこで彼は前に進み出る。「…!そこにいるのは誰だ…?まさか貴方たちは、神の遣いなのか?ならば問おう!!!」

その時だ!!急に私たちのいる席にスポットライトがあたったの!!客席の人たちの目が、私たちに注がれるのが分かる。私の心臓は思わず鼓動を早める。疾風は少し目を見開いた(これでも結構驚いているほうよ)。璃衣愛や実玖は何事かと思って辺りを見回す。詩織はウルウルしすぎで、それどころではないらしい。男は私たちのほうを見る。
「黄色い服に白いズボンをはいている神の遣いよ、答えてくれ!!私はどちらを選べばいいのだ!!?」
黄色い服に、白いズボン…あ、実玖だ!!実玖は思わず、「ええっ!?」と口にする。実玖はマゴマゴしながらも、すぐに舞台のほうを向いて言った。
「ウチは…ウチは、選べません…。あなたと同じ気持ちです…。どちらかを選ぶことで、もう一方を不幸にするようなことなんて…ウチは…ウチには、できませんから…」
「そうか…やはり君も…」
舞台上の男は、一度肩を落とす。しかし、彼はすぐに前を向く。
「ならば中央にいる、紺色の服を着た神の遣いに尋ねたい!!私はどちらを選べばいいのだ!!?」
紺色の服…私はすぐに隣を見る。疾風だ…。思わず息を呑む。疾風は目を閉じて、ゆっくりと答えた。
「……俺は…見捨てたくない…」
「見捨てたくない?それは、どういう事だ…?」
疾風は目を開いた。その瞳の中に、ある決意の色が見える。
「いくら自分の前にいい人が現れたからって…自分が今、一番愛している人を見捨てるなんて事は、したくない。今の彼女を本気で愛しているなら、今さら誰かにその気持ちを変えるなんてバカなことは…絶対に、しない」
「そうか…今の彼女を愛し続けろ、と?」
疾風は何もいわずに頷いた。すると私たちにあたっていたライトと、ヒロインに当たっていたライトが消えた。そして中央の彼は、ヒロインの女友達の方に戻っていく。彼は彼女を抱いて言う。「やはり…俺には君しかいない!!!」…最後の場面は、公園をヒロインが1人で歩いている場面。その独白から、彼のことをまだ想いつつも、気丈に生きていこうとする姿が浮かび上がって、幕は静かに閉じられていった…。

私たちはホールのロビーに出た。すぐに実玖のため息混じりの声がする。
「もう…まさか、お芝居にマルチエンディングが設定されているなんて…。しかも客に選ばせるんですね…」
「全く、実玖は優しすぎるんだよ!どっちかが辛い思いをしたって、スパッて割り切る方が男らしいよ?それに、自分のことじゃないんだからさ…実玖は他人事も、自分のことみたいに抱え込むでしょ?」
実玖はちょっぴり涙目で璃衣愛を見る。
「ごめんなさい…」
「謝らなくていいの」
私は璃衣愛の行動に驚いた。璃衣愛は不意に、実玖の体を抱き寄せたの…。璃衣愛が優しく口にする。
「私といる時は、そういう実玖でいいよ…でも、私と一緒じゃないときは…きっと実玖は、優しすぎて損しちゃうから…だから、もう少しだけ、強くなって。私、応援してるから」
…もしかして、あんなお芝居の後だから…璃衣愛も素直になれているのかな?ま、こんな「ノロケ」の2人は放っておいて、私は疾風を探す。さっきお手洗いに行っちゃったんだよね。
「野々宮!…出水から伝言」
疾風の声が後ろの方でした。疾風はどこかで…きっとお手洗いの中で…盛雄と会ったのかな?伝言って何だろう?疾風が何かを詩織に伝えると、詩織は驚いた顔をして、疾風に二言三言告げると走りだした。詩織は急いでホールの外へと出て行ってしまう。何があったんだろう…?まぁ、いいや。
「…は〜や〜てっ」
私は疾風に、後ろからそっと近づく。
「どうしたの、美寛?」
「ん…あのね、私、嬉しくて」
疾風は振り向いて、私の背中にそっと手を回してくれる。
「あの、さ…舞台の上から、声を掛けられた時だよ。『どんな事があっても、今の彼女は、見捨てない…』って」
疾風は何も言わない。
「あれは…私のこと、だよね?」
疾風はそっと、私から手を離して後ろを向く。
「ああ、あれ?あれは単純に、ヒロインより女友達の方がかわいかったから、適当に理由つけて選んだだけ。リノアよりもセルフィ、ゼシカよりもキラって感じかな」
私の笑顔は思わず固まる。実玖と璃衣愛が近づいてきたけど、今はちょっぴり無視。
「…疾風く〜ん?」
私が思いっきり低い声で言うと、疾風は振り向いた。…微笑んでいる。それに、疾風の目は…優しかった。思わず、めいっぱい力をこめてぶつけようとしていた右手を引っ込める。疾風はもう一度さっきと同じように私の背中に両手を回して、耳元にそっと、囁いてくれた。
「もちろん…世界で一番かわいいのは美寛ちゃんだけど、ね」
はぅ…。私の体が、思わず緩む。その後ろで実玖と璃衣愛が話し合っているけど、やっぱり無視。
「う〜ん…マグナムキラー並みに一直線ですね…」
「私、こんな美寛にノロケって言われたのだけは納得いかないんだけど」
その時、奥から盛雄がやってきた。
「おお、いたいた!まさか月倉に最後のアレがいくとは思ってなかったぜ」
「全く…ああいう趣向があるなら先に言えよ」
「ははは…あれがこの舞台の目玉だからな。そいつを簡単にはいえないさ。…ところで野々宮は?」
盛雄は辺りを見回す。私はホールの入り口を指差しながら教えてあげた。
「さっき帰ったよ?なんか、急いでいたみたいだけど…」
「あら、マジか…」
その時、急に疾風が盛雄に向かって言った。
「出水…お前の伝言なら、野々宮に伝えたからな」
「おお、そうか……って、ああっ!!?月倉、お前…」
盛雄は驚いた顔で疾風を見つめる。疾風はそれに構わず言葉を続ける。
「大体さ…お前の伝言は回りくどいよ。あんなの、普通は気付かないぞ?…まぁ、野々宮も返事はするって言ってたから…期待せずに待つんだな」
「あ、ああ…ありがとう…」
盛雄はすぐに、舞台の後片付けがあるからといって奥に戻ってしまった。

「ね、疾風…」
ここはY市の中華料理屋さん。Y市には中華料理屋さんが多い。もちろん値段にもビックリするほど差があるの。できるだけ高校生でも入れる値段のお店(かつ高校生だけで入っても問題なさそうなお店)を選んで、私たちはちょっぴり早い夕食をとっていた。
「盛雄の伝言、って何の話?」
「そうですそうです」
実玖がシュウマイを頬張りながら話に乗ってくれる。
「だって…あの人と出会った時間って、ほとんど無いですよ?それに、基本的にみんなで一緒にいたから疾風さんだけに伝言が届いている、っていうのもおかしいですし…。そもそもあの人、疾風さんに伝言が届いていること自体に、かなりビックリしていたみたいですよ?一体どういう事ですか?」
実玖は盛雄を「あの人」呼ばわりだ。きっと自分が女の子に間違えられたことを、まだ根に持っているんだろうな…。
「ああ、あれ?」
疾風はすました顔で答える。
「アルテミシオンが持ってきてくれた」
「冗談言わないで下さいよ」
実玖は笑いながら言う。疾風は玉子スープを一口飲んでから話を続ける。
「出水の伝言は…ここにいる俺たち全員の前で、堂々とメッセージとして送られていたんだ。それに、たまたま俺だけが気付いて受け取ったってこと」
私たちは揃って首をかしげる。璃衣愛が疾風に聞く。
「え…?どういう事…?」
疾風は私のほうを向いた。
「まあ…言ってもいいか。ただ…美寛、あんまり他の人には話すなよ」

さて問題。「盛雄の伝言」とは一体何でしょう?


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