inserted by FC2 system

つきのうた

第3幕

「誰もが、日常生活でマジックを体験し、マジックの中で生きている。」
森博嗣「幻惑の死と使途」より

「じゃあ、絶対に死体は最初、1人分しか無かったんだね?」
今は、月曜日の夜。私たち4人はあれから警察署に連れて行かれて、調書をとられた。私たちはそれで終わりだったけど、当然パパには新しい、しかもすごく厄介な仕事が入ったことになる。結局パパはその日も次の日も帰れず、月曜日になってから初めて、私はパパとあの事件の話ができたのだ。そういえば警察官の3Kは「危険・キツイ・帰れない」らしい。それを聞くと私は、失礼ながら同じようなトイレの5K…「汚い・暗い・臭い・壊れている・怖い」だったっけ…を思い出してしまう。
「そう、絶対1人分。入り口側に頭を向けて倒れていた女の子だけで、その奥に死体なんて絶対なかったの!」
「証人が4人もいるからね…これは、覆りそうにないな」
パパはそう言って、少しだけビールを飲んだ。私の目の前には紅茶がある。
「ね、それより…他に何か、分かったことがあるの?」
「確実に言えるのは、想像以上に困難なヤマだって事だね。全く、美寛はしょうがないな…誰に似たんだ?」
「それはもちろん、パパが大好きで、ちょっぴり強引なところがあるママに決まってるでしょ?」
「はは…確かに。それじゃ今の所は、近々公表することだけでいいだろう?」
「う〜ん、しょうがないなぁ。妥協する」
私はもちろん、妥協できる立場ではない。
「まず確認だ。被害者の名前は月下理菜と月下理沙。双子の姉妹だね。星川小学校の4年生だった」
それをきいてちょっぴり哀しくなる。星川小学校は、理菜と理沙を見つけた私たち4人の母校でもある。
「死因は2人とも、頸部圧迫による窒息死。たぶん麻縄だろう。ちなみに手前にいた…つまり、美寛たちがまず発見したのが妹の理沙。奥にいた…つまり、美寛たちのいう事を信じるなら後から突然出現した、あの子が姉の理菜だ」
私も「2回目の」死体発見の状況を思い出す。どこからともなく現れたもう一つの死体は、頭を洞窟の奥の壁に向けて仰向きで倒れていた。手も足もまっすぐで、何だか違和感を覚えた気がする。
「前にも言ったけど暴行を受けた痕や、抵抗した際に出来た傷はない。顔見知りの犯行の線が今の所は強い…と言いたいところなんだけどね」
「え?」
「正直に言って、よく分からない。その理由がこれだ」
そういってパパは、一通の手紙の白黒コピーを見せてくれた。そこにはおそらく定規をあてて書いたと思われる、角の目立つ字らしきものが並んでいる。でも、それは普通には読めない。
「…え、何これ?もしかして、鏡に映さないと読めない文字?」
「ああ、そうだね。それが月下理菜のコートの内ポケットに入っていた。そして理沙のコートの内ポケットに入っていたのがこれ」
私の前にもう1枚の手紙のコピーが差し出された。そこに書いてあるのは、先ほどのコピーと同じやり方で書かれた字である。でも、これは俗に言う「鏡文字」ではなく、普通に読める。そこにはこう書いてあった。後で確認したが、理菜のコートにあった「鏡文字」の手紙と、理沙のコートにあった手紙の文面は、一字一句全く同じだった。違いはただ一つ、それが「鏡文字」であるかないか、だけである。

「“黒い鏡”を知ってるか?いや、黒く塗られた鏡じゃなくってだね…。どうも、そいつには己の暗黒面が映るらしい。しかも、鏡がその黒さに耐えられなくなると鏡は割れ、そこに暗黒面の自分だけが残るらしいんだ。そいつは暗黒面とはいえ、結局は自分だ。暗黒の自分は本来の自分を殺すと、しばらくして自分も死んでしまう。結局そこには、姿形の全く同じ、2つの死体ができちまうって事だ。まるで、二つの死体の真ん中に、鏡があるみたいにな…。だから俺は言ってるのよ。“黒い鏡を覗く前に、生き返る準備をしておけ”ってね。」

最初は意味がよく分からなかった。鏡…二人の、自分?事件と何の関係が…と、そこまで来た時に急に背筋が寒くなった。待って…あの死体の状況!2人とも仰向け、2人とも同じ服装、2人とも長い黒髪、2人とも「気をつけ」に似た姿勢!一方は入り口を、もう一方は奥を向いている。そして、2人が一通ずつ持っていた手紙…。
「まさか…見立て殺人?」
そうだ、これは見立て殺人だ。「そして誰もいなくなった」「僧正殺人事件」を筆頭に、「霧越邸殺人事件」や「奇跡島の不思議」などで使われた殺人。具体的には唱歌や童話などのストーリーに見立てて、殺人を犯していく事だ。
「そう言うのか?とにかく、手紙に書いてある状況を忠実に模写している。その見立てとやらにそって解釈すれば、最初に美寛たちが一人の死体を発見した時は、「暗黒の自分」が生きていて、2回目の発見の時にはそいつも死んだ…とか言いたいんだろうな。これだけでもかなり異常だが、それ以上に厄介なのがこれだよ」
そう言って、パパは3通目の手紙のコピーを取り出した。
「これは今まで未公表だったものだ。隣でも意味不明だから黙殺していたそうだが、まさかこんな事になるとは…」
パパが珍しく苦悩の表情を浮かべる。多分、これからマスコミの批判の矢面に立たないといけないからだろう。恐る恐る手紙を見てみると、そこには同じ字で次のような文章が書かれていた。

「男は背が低いことを理由に虐げられた。男は他の者を上から見下したいと願った。そんな男は空を飛びたいと強く願った。男は空を飛び回る悪魔に尋ねた。“俺も空を飛ぶことは出来ないのか?”悪魔は答えた。“そんなに空を飛びたいのであれば、俺の翼をくれてやろう。”そうして男は悪魔の翼を得た。そして男は悪鬼となり、地に足を触れぬまま自分を見下した者たちを殺して回った。その悪鬼も最後には裁かれた。つまり、己の頭上に落ちた雷によってである。」

これは…どういう事だろう?私はじっと文章を見つめた。殺人現場に残されたメッセージであることは多分間違いない。そして犯人は、不可思議な状況を作り上げていた。おそらく前回があったのなら、前回も不可思議な状況を作り上げていたのだろう。パパはさっき「隣」って言った。たぶん、隣の管轄で起きた事件なんだ。そして、不可思議な状況…不可能状況…“地に足を触れぬまま”?突然、閃いた。
「まさか…天城潤の!?」
パパは少し眉を吊り上げる。
「ほお…よく分かったね、美寛。そうだよ、それは数週間前に殺害された俳優、天城潤の死体に入っていた手紙だ。もっとも当時は、意味不明として全く調査されなかったのだが…こうなると、ね」
「…え?じゃあ、これって…連続殺人?」
「その可能性が高い。だから困っているのさ。2番目の事件は顔見知りの犯行で、しかも一見無計画な犯行を思わせる。それなのに連続殺人を思わせる手紙もあるし、かなり手の込んだ方法だという事も分かった。犯人の狙いが全くわからない。天城潤は…芸能界という世界にいるからね…かなりトラブルや恨みという線もあるだろう。だが、それが月下姉妹とどう結びつく?連続殺人であるとしたら、今度は動機がない」
動機…というか、もしかしたらこれは「ミッシングリンク」なのかもしれない。これだけ計画された犯罪なんだ。まさか行きずりで被害者を選んでいるわけがない。きっとどこかで、2人はリンクしているはずだ。でも、今のところ三人の共通点は同じK県に住んでいるという事と、日本人であるという事くらいしかない。まさか「九尾の猫」のようなこともないだろう。でも、そうだ、「ABC定理」も頭に入れておかなくちゃ…。私の頭の中で、様々な憶測が駆け抜けていく。なんだかゴチャゴチャしてきた。たぶん、一度に色んなことを考えすぎている。「困難は分割せよ…」二階堂蘭子の有名な言葉を思い出した。

「まったく…あの日、現場を見た美寛がウソみたい」
そう疾風はぼやく。パパから話を聞いた次の日、私は学校帰りにそのまま疾風の家に来ていた。疾風の部屋で制服のまま、麦茶とクッキーを口にしていた。そして、もちろんだけど疾風にパパから聞いた話をしているのだ。
「いいでしょ、疾風!私のこういう思考回路を直すのは諦めた、って言ったのは疾風じゃない?」
「はいはい、分かったから…それで?今回は何を問題にしたいの?」
ベッドに座っている疾風が私に聞いてくる。疾風の椅子は私が独り占めしていた。それにしても疾風は、付き合い始めてから今までよりももっと、私の気持ちをわかってくれるようになったな、って思う。疾風の今の言葉が、私には必要だった。疾風に話すことで自分の考えを整理するのが、一番早いし自分でも分かりやすいから。
「いい、疾風?まずは何といっても、死体出現よ」
「確かに…あれを見せられた時は正直驚いた」
疾風が驚くなんて珍しい。最近疾風が驚くのを見たのは、ゴスロリの服を着た私を見たときとあの時だけだ。1回目に死体を見た時でさえ、疾風の顔には不快な表情はあったけど驚いた表情はなかった。疾風は言葉を続けている。
「それで、美寛?ああいうトリックはないの?」
「そう…それが分からないから困ってるの。だいたい推理小説で出てくるのは“消失”モノなの」
「は?“消失”?消えるって事?」
私は疾風の椅子を動かして、疾風の目の前まで持ってきた。そこに座って、疾風の目を見る。このときが一番気持ちいい。私が疾風の「お姉ちゃん」になれるから。
「そう、消えるって事。死体が消えるのはもちろんだけど、他にも凶器が消えたり、生きている人間がそのまま消えたり、すごいものだと一部屋丸ごととか、家とかまで消えたりするの」
「…は?部屋とか家とかまで消える?」
「うん。そういうのは『魔術王事件』とか『神の灯』とかであったの。でも、死体が新しく出現するなんて…少なくとも私は、聞いた覚えがないの」
私は俯いた。そして、今までに読んだ推理小説を思い出せる限り思い出してみる。…そう、少なくとも私はそんな話、聞いたことがない。たぶん探せば見つかるだろうけど…。
「なあ、美寛?」
疾風の声を聞いて私は顔を上げた。
「普通に考えれば、俺たちが洞窟を出た後に誰かが死体を運んできたってことだよな?」
「うん、そう…普通に考えればそれしかない。でも、私たちが最初に死体を見つけてから、私たちはずっと洞窟の入り口にいた。だから、誰かが同じ入り口から入ったなんて事は絶対ないの。それに横道がなかったでしょ、あの洞窟?」
「ああ、なかった。犯人があの洞窟の中にいたとは思えない」
「だよね?でも、私たちは洞窟に入ってから出るまで、理沙ちゃん以外には出会わなかった」
「だとしたら…あとは、何がある?天井の穴?」
そう、それは私も考えた。
「でも、天井からもし洞窟の中に降り立つことが出来たとして…帰りはどうするの?それ以前に、人間が通れるほど大きな穴が天井に開いていたら気付くと思うけど…」
「いや、俺はもっと単純な方法を考えてたんだけど」
「え?単純?」
「ああ、投げ落とすだけでいいじゃない?」
そうか。大人なら入れない穴でも子どもなら入れる可能性はあるし、それより何より帰りの方法を考えなくていい。確かに、それなら…と納得しかけた。でも…。
「…待って、疾風!それじゃダメ。理菜ちゃんは、理沙ちゃんと同じ格好で倒れていたの。しかも気をつけみたいな格好だよ?投げ落としてあんな格好になるとは思えないし、落としたら落としたで傷がつくと思う。パパに聞いただけだから分からないけど、その…絞めた痕以外の傷は全然なかったはずだよ」
「…なるほど。とりあえず今は保留する?」
疾風の提案ももっともだ。他にも考えることがいっぱいあるし、保留することにする。
「うん、そうする。…じゃあ、次。なんであんな…面倒で手品みたいなことをしたの?」
「それは犯人に聞いて。さっき言ってた手紙と同じ状況を作りたかっただけだろ?」
「…そう、手紙よ!あれ、一体何?何のためにあんなこと…」
私はふと思いついて口にした。その時、疾風がなんだか真剣な表情になった気がする。
「なあ、美寛?もう一回、さっきの手紙の内容、言って?」
「え?2人のポケットに入っていたやつ?私もあんまり覚えてないの。パパ、すぐに自分のカバンにしまったから…。なんか、黒い鏡があって、それには自分の暗黒面が映って、どうこう…って。とにかく、あの状況とほとんど一緒だったの」
「…美寛、“黒い鏡”って言った?」
「え?うん、言ったけど?」
「そう…なんか、聞き覚えがあるんだけど…」
私は疾風のほうを訝しげに見る。それより、今の大事な流れを切らないで欲しいなぁ。
「もう、別にそんな些細なことはいいでしょ?どうせゲームか何かの言葉じゃないの?」
急に、息を飲む音がした。疾風の顔が少し明るくなった気がした。
「そうか、ゲーム…!ねえ美寛、そこの本とって!」
私は本をとってあげた。この前疾風がしていた“STORY OF MOONLIGHT”というゲームの攻略本だ。私は疾風に本を渡した後、わざとあくびをして、ベッドに腰掛けていた疾風の後ろに横になった。私はちょっぴり不機嫌だった。もう、急にゲームの話なんか…。その横で、疾風の声がぼんやりと聞こえている。
「…『“黒い鏡”を知ってるか?いや、黒く塗られた鏡じゃなくってだね…。』」
その言葉を聞いた瞬間に、私はベッドから飛び起きた。
「は、疾風!!?」
「やっぱり…これだろ?美寛が見た手紙の内容」
そう言って疾風は本を見せてくれる。そこには確かに、月下姉妹の死体に入っていた手紙と同じ内容の文章があった。横から疾風が説明してくれる。
「少し前だけどさ、“ブレイブノート”の話はしただろ?それ、“黒い鏡”っていうアイテムを持つ敵、ダークマスターのノート。相手の死に際の攻撃で絶対こっちが死ぬから、生き返る準備をしていないと勝てない敵だよ」
私は文章に見入っていた。本当だ、一字一句同じだ…。そこまできて、私はもう一つの手紙を思い出した。
「ねぇ、疾風…それじゃ、天城さんの手紙にあったのは!?まさか、これと同じゲームの?」
「どんなことが書いてあったか、言って」
私は思い出せる限り思い出そうとした。インパクトの強い文章だから、なんとなくは覚えていた。
「見下されていた男が、悪魔から翼を手に入れて人々を殺して…でも最後は雷に撃たれた、って話」
「悪魔の翼…雷…。そうか、ディザスティか」
疾風は私が持っている本のページを、少し前にめくった。
「これじゃない?悪魔系のモンスターで雷に弱いのはディザスティしかいない」
疾風の言ったとおりだった。そこに書かれていたのは、天城潤の死体に入っていた手紙と同じ内容だった。
「つまり…ゲームの文章に見立てた連続殺人…」
まるでナイト・プローラーだ。そんなことが現実に起こるだなんて、思ってもみなかった…。

「ゲームの文章に見立てた連続殺人、ってことは分かった。どうしてそんな事をするかは、今は分からない」
自分の思考がクリアになるまで待った後、私はまた疾風に向かってしゃべり始めた。
「とにかく、それも保留して…次の話。なんで、天城さんと月下姉妹を選んだの?動機の問題」
「それも分からないな。…大体あの3人に共通点があるのか?」
「そう、それなのよ!」
私は身を乗り出した。
「あの3人の共通点って何?これはね、疾風…ミッシングリンクの問題なの」
疾風はきょとんとした顔をしている。その疾風の顔はいつもより幼くて、少しかわいい。
「…は?何それ?」
「よ〜く聞いてよ?人を殺そうって思うときは…よっぽど強い動機がないと、普通はムリ…。それは、愉快犯なら別だけどさ、そんな犯人がこんな手の込んだ事をするとは思えないの。だから、きっと今回の事件の犯人は、ちゃんとした理由があって、犠牲者を選んでる」
「決め付けはよくないよ」
「今はヘンな事言わないで!…それでね、疾風?じゃあどうして、犯人はその犠牲者を選ぶのか、って事。そこに何か理由があるはずなの。被害者全員にある共通点。それが…ミッシングリンク」 そう、これさえ分かれば、きっと犯人を捕まえる糸口になるはず。私はそう勢い込んでいた。一方の疾風はさっき私がしていたように、ベッドに寝転がった。私は彼の顔を覗き込む。
「分かった、疾風?」
「ああ…一応はね。でも、そんなの、探せばいくらでもないか?例えばこのK県に住んでいるってだけで殺される理由になっているかもしれないし…」
「う〜ん…そうなんだけどね、そんなの、人を殺すってほど強い動機にならないと思う。それにまして、あんな殺し方…私には、かなり殺意があるようにしか見えない」
といいつつも私の頭の中には、自分の発言を覆すある長編小説が思い浮かんでいた。
「そうか…。美寛、それだけ?」
「う〜んと…あ、あと1つだけ」
そう言って私も、疾風の横に寝そべる。
「何?美寛」
そして、思いっきり甘えた声を出して、疾風の耳元に囁いてあげた。
「ホワイトデーのお返しは、女の子がくれた分の3倍が普通なんだよ」
疾風は私に聞こえるくらい大きなため息をついた。
最初に戻る前を読む続きを読む

inserted by FC2 system