inserted by FC2 system

やみのうた

第2幕


『これがもし、おれたちの行動を見ていた狂信者が、神に代わって天罰を食らわせてやると、爆薬か何かで洞窟の入口を塞いだというのならまだわかるがな』
霧舎巧『ラグナロク洞』より

外で話していた二人は、家の中へと入ってしまった。私たちはベランダから美留奈の部屋に戻る。美留奈はまだ戻っていなかった。私は疾風に、さっきの話のことをする。
「ねえ、あれ…どう思う?」
「どう思うも何も…正気じゃない」
「うん、私もそう思う…あんな遺言、普通じゃないよね。まさか…美留奈ちゃん、あんなヤツと結婚するの…?」
「ん?実大ってヤツのこと?さあ…それは当人の決めることだしさ。それに、もう1人いるんだろ?」
あ、そうか。実亜那くんがいるよね。やっぱり、私はどうも、あの実大って子を好きになれなかった。そうだ、私たちはまだ、実亜那くんにも美依夢ちゃんにも会っていないわけだし、今の時点からあれこれ考えるのは無意味だよね…なんて事を言うなら、他人の家の事情に口出しする時点で無意味なんだけど…。
「ごめん、お待たせ」
そこに美留奈が戻ってきた。私は慌てて口をつぐむ。
「あれ、何の話?」
「えっ?あ、あの…えっとね…」
私は適当なウソを思い描いていた。でも、これといったものは出てこない。
「…美寛のノロケ話だから、聞かないほうがいいよ」
疾風が横から口を出す。もちろんウソだけど…そのウソは、ちょっぴりヒドイよ…。
「しょうがないなぁ、美寛ちゃんは」
美留奈にも加勢される。だからぁ、何で私はそういうキャラだって思われてるの?
「…とりあえず、俺たちは帰るよ」
いきなり疾風が切り出した。
「うん、そうだね…きっと、お葬式の準備とか、始まると思う。ごめんね、こんな日に呼んじゃって」
「ううん、それは別にいいよ。そうだね、そろそろ帰らなくちゃ」
と言っても、時刻はまだ4時過ぎだ。でも…正直、この家に長居はしたくなかった。私と疾風はベッドから立ち上がって、部屋を出る。すると、そこには今までに見たことがない女の子がいた。彼女は澄んだ声で話しかけてくる。
「…あれ?美留奈ちゃん、その2人って美留奈ちゃんの友達?」
私は彼女を見る。ショートカットで髪は黒。少しあどけない顔立ちで、化粧は全くしていない。頭には赤いカチューシャをしている。水色のブラウスにフリルのついた青色のスカートをはいていて、左の手首には変わった形をしたピンク色の時計。私の正直な第一印象はゴスロリだった。きっとこの子が美依夢ちゃんね…何となくだけど、疾風が好きそうな女の子だなぁ。そう思って疾風のほうを見ると、露骨に見とれている。さっきの美月さんの時より、はっきりと見て取れた。でも、次の美留奈の一言で私たちは…特に疾風は…すっごいショックを、受けることになる。

「うん、そうだよ…実亜那くん」

「…えっ!?この子…!!?」    「え…えええっ!?ウソでしょ!!?」
私と疾風は本当に驚いて、一歩後ずさりしてしまった。そんな…こんなかわいい子が、男…!!?疾風はきっと『男なのか』というセリフを言いかけて、ギリギリのところで飲み込んだに違いない。
「あ…ごめん、実亜那くん!この2人には、何も話していなかったから…」
美留奈は慌てて実亜那に謝っている。一方の実亜那は、何も気にした様子がない。
「ううん、別にいいの。実亜那、今日は気分が良いから。だって明日は実亜那、15歳のお誕生日だもん」
…えっ、この子の一人称って「実亜那」なの?何だか…ますます、女の子にしか見えない。
「また今度、お話しましょうね」
実亜那はスカートの裾を持って、お姫様風のお辞儀をする。…しかもそれを、疾風に向かってしてみせた。疾風はぎこちなく会釈する。きっとまだ、自分が担がれていると疑いたいんだろうな。私は心の中で思わず「疾風が悪いのよ」と言ってしまう。彼が階下に立ち去ると、美留奈が声を潜めて話しかけてきた。
「ごめん…何も言ってなかったよね。実亜那くんは…自分のこと、女の子だと思っているから」
「いや、それはいいけど…でも…正直、驚いた」
疾風の口調はまだおかしい。今になってやっと、本当に目の前の「美少女」が男だったことを、現実として受け止め始めたみたい。
「子供の頃から実亜那くん、私や美依夢と遊んでいて…きっとそれで、だと思うの」
私は強く頷く。そして、自分の頭から性同一性障害のことを追い出そうとしていた。きっとその言葉には、偏見が混じっている。だから、そんな言葉を使わずに彼を表現しようとしていた。でも…上手くできない。
「そうか…それで、学校に…」
「うん。幼稚園でも馴染めなかったから…。今はホームスクールって言う制度があって、つまり先生が家にいて、学校に行かなくても学校の授業…というか義務教育として認められるような制度があるの。私も詳しくは知らないけど…それで、美沙さんがいるのはそのため」
美留奈の言葉がそこでふと途切れる。階上に誰かが上がってきたからだ。そこに顔を見せたのは2人。1人は少し白髪交じりの背の高い男の人。ジェントルでかっこいい印象を受ける。もう1人は眼鏡をかけた背の低い女の人だった。女の人は、美留奈の姿を捉えるなり声を出す。少し甲高い声は、地声なのにちょっぴりヒステリックに聞こえた。
「美留奈ちゃん!お義父様が亡くなられたって本当!?」
「…叔母様、お父様!…ええ、本当です。まだ…その、おじい様たちの部屋に…」
え、この人が美留奈のお父さんなんだ!そして、今話をしている女の人は…私は美留奈が書いてくれた家系図を思い出す…そう、きっと南さんね。そういえば2人とも、仕事だって中矢さんが言っていた。どうやら当主の宮蔵が亡くなったという知らせを受けて、戻ってきたらしい。
「分かった…ありがとう」
美留奈のお父さんは、すごく落ち着いた声を出して、左奥の方へと小走りで向かっていった。どうやらそちら側に、宮蔵たちの部屋があるらしい。私たちは、2人を見届けながら1階へと下りた。そこにもまた、人影が1つ。
「ああ、美留奈様…お友達、お帰りですか?」
階段の脇においてある花瓶を掃除していたのは…中矢さんだ。さっきと同じ割烹着のような服を着ている。私たちはもちろん、さっきベランダで彼女を見たから知っているけど、当然顔には出さない。
「はい。今日はどうもありがとうございました」
私はよそ行きの口調で答えて、玄関から外に出た。美留奈とは玄関のところで手を振って別れる。玄関の扉が閉まり、噴水を通り過ぎたあたりで、辺りに誰もいないことを確認してから疾風が口を開いた。
「こういう言い方はまずいと思うけど…」
「えっ?」
「…嫌な家だな…」
「う〜ん、確かにそうかも。でも、それはたまたまさ、ほら、美留奈のおじいちゃんが亡くなった日に、私たちが家に来ちゃったからで…」
疾風は、ちょっぴり首を横に振ってから顔を俯ける。
「いや、美寛…そんな理由だけじゃないよ」
「そう?疾風はどんな理由だと思った?」
疾風は顔を上げて、ぼんやりと前を見る。
「少なくとも、祖父さんが死んだからじゃないな。あの雰囲気…家に入った瞬間から、感じた…。あれは、きっと…」
疾風は一度、そこで言葉を切る。
「もうずっと昔から…緊張が、嫉妬が、憎悪が…みなぎって、渦巻いている…そんな雰囲気だった。無理もないな…」
無理もない?一体、何のことだろう?それを聞こうとした瞬間に、私たちの視界に2人の人物が見える。彼らはあの黒い門の向かい側にいた。どうやら夜屋家を訪ねるつもりらしいけど、問題はその2人が誰か、って事。私は疾風との会話を思わず中断して、その2人に話しかけてしまう。
「えっ…!?パパ、宇治原さん!」
呼びかけられた2人も、ちょっぴり驚いたみたいだった。でも、どうして2人はここに…?
「え?…美寛!どうしてここに?」
やっぱりパパも同じ事を聞く。私たちは門に駆け寄った。
私のパパは雪川隆臣って名前で、職業は警察官。最近改めて聞いてみたら、役職は警部らしい。意外に偉くてビックリしたの。ちなみに宇治原さんというのはパパの部下の1人。人懐っこい笑顔が印象的な、そろそろ30歳になる刑事。今は2人とも背広姿だった。
「私は、美留奈…えっとね、夜屋美留奈っていう友達に呼ばれて。今まで疾風と3人で、お喋りしてたの。…それよりパパこそ、どうして?」
疾風が門を開けてくれたので、私はそこから夜屋家の敷地外に出た。パパは少し思案してから話し始める。
「簡単に言うと、予告状かな」
「えっ!?予告状…って、何の?」
そこからは宇治原さんが話し始める。口こそ堅いものの、彼の口調は警察官とは思えないほど軽い。
「よく意味はわかんなかったけど…とにかく今日、夜屋家に何か不幸なことが起こる…って感じだったよ」
かなり曖昧だ。…もっとも、ある意味では部外者の私に、ここまで教えてくれるだけでも十分なんだけど。
「まあ、確かに不幸なことは起こりましたけど…」
疾風がそう口に出す。疾風は目上の人にさえほとんど敬語は使わないけど、なぜか私のパパの前では敬語。もしかして将来、私のパパがお義父さんになるから…?なんて、私はちょっぴり邪推していい気になる。
「不幸なことが…もう起こったの!?」
「月倉くん、何が起こったんだい?」
二人が口々に聞く。
「ええ。夜屋宮蔵…夜屋家の当主が、さっき、病気で…」
「死んだのか…」
パパは少し青ざめている。…何か、様子が変?
「ねえ、パパ?美留奈のおじいちゃん…その、宮蔵さんって、そんなスゴイ人なの?」
「すごいも何も…彼は宙丘総合病院の院長で学会はもちろん、政界や財界とのつながりも非常に強い。彼の根回しでもっている場所は少なくないし、ただでさえ豪傑の資産家だったからね…影響は大きいよ。ところで…」
パパは改めて、疾風のほうを見る。
「それ以上のことは、何か聞いたかい?」
「いえ、別に…。ただ宮蔵は心臓を患っていて、ここ数ヶ月自宅で静養していたそうです」 もちろん、遺産のことは話さない。…それに第一、ミロさんがいる限りは、あの遺言には意味がないものね。
「そうか…しかし一応、夜屋家の人間には会っておいたほうが良いな。よし、宇治原、行くぞ」
パパたちは「夜屋宮蔵」のインターホンを押した。私たちはそれを見届けてから、夜屋家を後にした。

歩き出してすぐ…私たちはあの一本道を歩いているんだけど…私が口を開く。
「何か、今日は…どうなってるんだろう?」
「分からない…ただ、何となく、嫌な雰囲気だよな」
「そうだね…すぐ、家に帰る?」
「それともどこかで一回、気持ちを落ち着ける?エデルとか」
「あ、そうだね〜。そうしよっ!」
あ、ちなみにエデルというのは「エデルスタイン」という喫茶店のこと。私と疾風の行き着けの場所で、私たちは普段略してそう呼んでいるお店。エデル自慢のおいしい「いちごクリームソーダ」が、今から私の頭に浮かんでいる。…その時。左手の山から、パラパラと小石が転がり落ちてきた。私と疾風は、なぜか足を止める。
「えっ…?何か、変な感じが…しない?」
「ああ…する…。揺れてる…?地震か?」
私は疾風の左腕に、そっと手を絡ませようとした。その時だ!!

ドオオオオオォォォォン…

嫌になるくらい大きな音が、私と疾風の頭上で起きた。私の右手は、すぐに疾風に掴まれる。
「えっ、えっ!!?」
何が起きているのか分からない。疾風の声が、私の白い心に響く。
「美寛、走れ!!!」
訳も分からずに、私は疾風に手を握られたまま、夜屋家のほうに逆戻りする。後ろから土煙が上がった。私たちを取り巻く土煙に視界が遮られて、息も出来なくなって、それでも私は必死に、疾風にすがるように走る。砂や小石が、走る私の背中にたくさん当たった。しばらくして、煙が収まる。私と疾風は、立ち止まって振り向いた。
「ウソ…ウソでしょ…」
思わず私の口から、そんな言葉が漏れる。…振り返った先の視界には、もう何もない。ただ、茶色い土で埋めつくされているだけだ。夜屋家に至る道はこの一本しかなかったはずで…つまり、これは…。
閉じ込められた…?
「まずいな…」
「ねえ、疾風!これってどういう事!?」
もちろん、私にも見当はついている。だってあの音、このタイミング…間違いない。
「きっと、ダイナマイトだろ…山の上で爆発を起こして、夜屋家に至る道を寸断したんだ…。それはつまり…」
「あの予告状…?」
「だろうな。でも、何でこんな事を?…とにかく、これじゃ仕方がないな。…夜屋の家に戻ろう」
私と疾風は歩き出す。私は疾風の横顔をそっと見つめた。それはきっと、何かを覚悟している目だ。そう、その理由が私にはよく分かる。疾風は知ってて言わないだけだ。私を不安にさせないために。それは、疾風が小さくつぶやいたこの一言からも分かる。
「…向こうに行けば、少なくとも警官が2人はいるわけだし…」
あれぐらいなら、きっとすぐに復旧するはずだ。ましてや夜屋家という資産家が住んでいる家に通じる道だ、「そういう手引き」もあって、すぐにでも作業は始められるに違いない。食糧難に困るという事もないし、その気になればきっと、他のルートからどこかに出られるはずだ。多少手付かずの自然に囲まれているとはいえ、ここはK県なんだもの。アマゾンの森の中ってわけじゃないんだし。それなのに、道を封鎖した理由なんて、1つしかない。

…そう、本当にこれから、悪魔の手で何かが起こされる。それを、他の人間に邪魔されたくないんだ…。

夜屋家の前に来ると、入り口にある黒い門から3人の男性が出てくるところだった。1人は宇治原さん。残る2人は初めて見る人たちだけど、消去法で見当がつく。1人は黒い燕尾服のような正装に身を包んでいるおじいさん。たぶん60歳は越えているだろうけど、背筋も伸びていて元気そうだ。彼がきっと宮蔵とミロ夫妻の執事である、古谷さんね。そしてもう1人は50代の男性。いわゆる「恰幅のいい」感じの人で、頭が少し禿げ上がっている。体格はともかく、その口元なんかが実大に似ている。年齢の面から言っても間違いなく、この人が夜屋道夫…つまり、美留奈の叔父さんなのだろう。
「あ、美寛ちゃん!」
すぐに宇治原さんが声をかけてくる。
「君たち、今大きな音がしなかったか?あれは一体、何なんだね?」
そう道夫も声をかけてくる。…う〜ん、どこかに傲慢な感じは拭えない。でも、私は丁寧に説明する。
「たぶん、ダイナマイトです…この家に来る途中の道に沿ったK山の一部が爆破されて…。道が土砂崩れで通行できなくなったんです。それで、私たちは戻ってきて…」
「ん?戻ってきて?」
「ああ、それでしたら道夫様…このお2人は、先ほどまでいらしていた美留奈様のお友達かと存じます」
後ろから慎ましく、古谷さんが説明する。生で話す彼の声には機械的なところがなく、私はちょっぴり安心した。
「ああ、そうか…。うん、仕方ない、君たちは一度家に入りなさい」
言われなくてもそうするつもりです、と言いかけたのを飲み込んで、私と疾風は黒い門をくぐって、再び夜屋家の敷地に入った。残りの3人は、家の外に歩いていく。きっと土砂崩れの現場をその目で確認しに行くのだろう。

玄関のところで、今度は4人の人が立ち話をしている。もっとも、1人は座っていたけど。つまりこの4人は、美留奈と美月さんと、先ほどと同じ服装から判断して美沙さん、そして車椅子の民人くんだった。間近で見ると、美沙さんはどうやら美月さんと同じくらいの年らしい。そして民人くんは、とても色白で、ちょっぴり褪せた黒髪の男の子だった。服装はパジャマなどではなく、ちゃんと外にでも出られるような服で、どうやら病弱と言うわけではないらしい。私と疾風はその一団に近づいた。すぐに美留奈が声を上げる。
「…美寛ちゃん、月倉くん!!どうして?やっぱり、さっきの音は…?」
「うん…。山が爆破されて、土砂崩れが起きたみたいなの。それで、ここに来る道が塞がれて…結局、私たち、帰れなくなっちゃったみたい」
その言葉を聞いて、一同はおびえた顔をする。次に口を開いたのは、美月さんだった。
「そう…あ、でも大丈夫だよ。空室はあるから、泊まっていけばいいよ。夏休みだし、大丈夫でしょう?」
私と疾風は頷く。よかった、話が早くて。美月さんは美沙さんの方を振り返って言う。
「美沙さん?空室を2つ、使えるようにしてもらえるかな?」
「あの、お嬢様…」
美沙さんは少し言いよどんだ。
「ほら、警察の方がお2人来られたじゃないですか?つまり、お2人も入れて臨時のお客様が4名増えられたという事になるのですが、その…空室は3つしかありませんので…」
「あ、私と疾風、一緒の部屋でいいですよ」
私は口を挟む。それが一番現実的だし、私にとっても都合がいい。美月さんは、それを聞いてちょっぴり驚いた。
「えっ?…いいの?」
「いいのよ、お姉ちゃん。美寛ちゃんと月倉くんは、そういう仲だから」
美留奈も一応私に賛成してくれる。賛成の仕方が、あまり気持ちよくはないけど…。
「そう、ではそれでお願いできますか?だとしたら…幾分広いから、南側の部屋…美依夢お嬢様の隣のお部屋を、お2人で使ってください。では、私は準備をしてきます。あの、よろしければ…どなたか、民人くんをお部屋まで…」
「あ、私が行きます」
美月さんはそう言うと、民人くんの車椅子に手をかける。彼は私たちのほうを向くと、何も言わずに少し微笑んだ。とにかく繊細そうな表情で、何だか切なさを感じる。私と疾風と美留奈は、3人が家の中に入っていくのを見送った。
「大変なことになっちゃったね…」
美留奈が誰にともなく言う。
「復旧するのに、どれくらいかかるかな…?」
「さあ?でも、そんなに時間はかからないと思う」
「ねえ、誰か外に連絡したの?」
それはもちろん連絡したでしょ、だってここは携帯電話の圏外であるわけでもないんだし。
「あ、連絡は無線でしましたよ〜」
この場にそぐわない陽気な声がする。振り向くと、そこには宇治原さんがいた。遅れて道夫と、さらに少し遅れて古谷さんの姿も見える。
「すぐに全力で復旧にあたってくれるそうです。まあ、夜間は少々動きが鈍りますけど…きっと、翌朝にはもう通れるんじゃないですかね」
「まあ、こんな時に警察がいたのは不幸中の幸いだな」
道夫はそういいながら、家の中へと入っていった。古谷さんは私たちに会釈をしてから、同様に家の中に入っていく。
「そうですか、じゃあ安心ですね」
美留奈も初めて、ほっとした表情を見せる。私たちも、しばらく無線で連絡を取り合うという宇治原さんを残して家の中へと入った。

家の中では、パパが道夫と話していた。
「…というわけで、少し話を聞かせてください」
「うむ…まあ、いいだろう。こうなっては、他にすることもないしな」
きっと予告状の送り主に見当がつかないか、みたいな事を聞くんだろうけど…。パパの仕事は邪魔しないことにして、私たちはしばらく入り口のところで佇んでいる。すると、不意に右手…西側の方から音が聞こえてきた。西側の扉を開けて、中から人が出てくる。
「…あっ、お姉ちゃん」
中から出てきたのは明るい茶髪の女の子だ。この髪の色は、私が今年の初めまでしていた色と似ている。でも、それ以上に彼女は私と違って、肌も小麦色で、化粧もかなりはっきりとしていた。少し小さめの白のTシャツにデニムのパンツ。つまり…ギャル系?少なくとも大人はそういう言葉でくくる女の子だろう。
「あ、美依夢!…何してるの?」
「え〜、誰かがキューを物置にしまったみたいでさぁ…って、アレ?カギかかんない?」
美依夢はしきりに扉をガチャガチャ言わせる。私たちは、その扉に近づいた。ちょっぴり古びた扉で、後で知る事になるけど、物置に繋がる渡り廊下の扉なの。夜屋家の西側に飛び出た部分は、1階が物置に、2階が宮蔵とミロの部屋になっている。ちなみに反対側の東側に飛び出た部分は、道夫一家の住居スペースらしい。さらに言うと、ベランダから見えた物置のような建物は、一応「離れ」らしい。もっとも美留奈いわく「物置同然」だそうだけど。
「あ、そこ立て付けが悪いらしいの。古谷さんが近いうちに直すって言ってたけど…」
「あ〜もう、マジサイアク!ねえちょっと、手伝ってよ!」
美依夢が呼びかけたのは、どうやら疾風らしい。疾風は扉を閉めて、カギをかけた。確かに、男の疾風でもかなり力を入れないとカギはかからなかった。
「サンキュ…ところで君、誰?」
美依夢は疾風に聞く。…何か、違和感がある。私は美依夢の言葉遣いを、そう感じていた。もしかしたら、彼女は無理してギャルっぽく見せているのかもしれないなぁ。…もしかして美依夢の場合も、美月さんへの反動かも。
「この2人は私の中学時代の友達。たまたま遊びに来てたの」
「ふ〜ん、そうなんだ。あ、何ならさ、やっていかない?」
美依夢は左手に持っていたキューを掲げる。…ってことは、まさか…。
「え〜っと…これはつまり、この家にはビリヤード台があるって事?」
「うん、そうだよ。…どうせ今日は帰れないし、やる?」
「え、帰んないの?泊まるんだ?」
美留奈の言葉に、美依夢はかなり大きく反応する。…もしかして、彼女はまだ知らないんじゃ?美留奈もすぐに、それに気付いたらしい。
「あ、美依夢、知らなかったの?あのね…」
そこで美留奈は、道が塞がれたことを美依夢に説明した。
「はぁ!?何やってんの!?ありえないんだけど」
「一応、明日の朝には復旧しそう、って言ってたよ」
「ふ〜ん、それならいいか」
「おい、うるせえよ美依夢!」
玄関のほうから、急にそんな声がしてきた。美依夢がすぐに、一歩前に出る。そこにいたのは実大だった。
「何よ、あんたの声のほうがよっぽどうるさいわよ!!」
「テメェに言われたかねぇな…?チッ、お前ら、まだいたのか!?」
…きっと「お前ら」って、私と疾風の事ね…。私が文句を言おうとした時に、実大は玄関の扉を開いた。その姿を見て美依夢がけんか腰で言葉を続ける。
「ふんだ!あんたね、今外に出てもムダよ!それに一応の決まりもあるでしょ!」
「あぁ?知らねえな、そんなの。それよりお前、口の利き方には気をつけろ!金が手に入らなくなるぞ!!」
「バッカじゃないの!!?誰がアンタと好き好んで結婚なんか…!!」
実大の姿が見えなくなったので、美依夢の言葉はそこで途切れた。
「もうっ、ホントにムカツク!!」
私は心の中で美依夢に同情しながら、ふと気になったことを美留奈に聞く。
「一応の決まり、って何の話?」
「え?ああ、あの…簡単に言うと喪に服す、っていうこと。家人の誰かが…その、亡くなったら…一晩は基本的に外に出ない決まりなの。外界との断絶、っていうのかな?カーテンも締め切って。さっきは爆発の音に驚いて、みんなして決まりを破っちゃったけどね…あれは例外中の例外」
美留奈は苦笑する。
「あのさ、結婚って…?」
疾風が小さくつぶやく。…って、どうやら疾風は、遺言の内容を知らない振りで通す気らしい。
「あ、ううん、それは気にしないで。…それより、やるなら早く、遊戯室に行こうよ」
美留奈はほとんど表情を変えずに、その話題を流してしまった。

私と疾風、美留奈、美依夢の4人で、それからビリヤードが始まった。さすがに誘った美依夢は上手。それから、意外と…なんて言ったら失礼だけど、疾風も上手だった。私と美留奈は、ほとんどダメ。特に私は、ビリヤードなんて1回もした事ないもの…。疾風いわく「入射角と反射角の問題」らしいけど、そんなものを文系の私に要求しないでよ!後で聞いたら、実は美依夢は理系らしい。ああ、やっぱりこういうゲームは文系より理系の方が…なんて現実逃避的な議論に私は話を持ち込もうとしている。単純にヘタっていうのは、分かってるけど…。
「おっ、ビリヤードですか〜」
時刻は午後7時ごろになっていただろうか。宇治原さんが入ってきた。汗をハンカチでぬぐっている。
「え…ちょっと、お兄さんは誰よ?」
美依夢がやはり尋ねる。
「あ、僕はK県警の宇治原というものです。別件でちょっとこの家に来たんだけど、例の件は知ってるよね?あれで閉じ込められちゃって…」
「ふ〜ん…別件って何?」
「なんか、この家で不幸なことが起こるとかいうデマ…かな?」
宇治原さんはそう言って曖昧に済ませる。きっと「宮蔵の死」という話題を蒸し返したくないという配慮からなのだろう。美依夢もそれ以上聞くことはなかった。
「復旧の件で警察とも連絡は取ったし…だから今は公務が終了したわけ。というわけで…混ぜてもらっていい?」
屈託のない笑顔を浮かべて聞く。よっぽど腕に自身があるのかと思ったけど、実は彼自身も私や美留奈と腕は変わらなかった。でも、何となく和やかに時は過ぎていく。そして、8時を過ぎた頃…。
「あ、皆さんこちらにいらしたのですね?」
遊戯室に入ってきたのは美沙さんだった。
「お夕食の準備ができましたので、皆さんダイニングのほうに…」
そう言われるとお腹がすいている自分に気がつく。私たちはすぐにゲームを切り上げて、ダイニングに向かった。

「本当に恐縮です。私たちの分まで用意していただいて…」
ダイニングには、ほとんどの人が揃っている。そこではパパが満夫…美留奈のお父さんと話していた。
「いえ、構いませんよ。それに迅速に復旧の要請もしていただいて。どうせ出られないのですから、今晩はここでごゆっくりお過ごしください…」
私たちも席に着く。まだ何席か、空いている場所があるようだ。
「ただ、如何せん時期が時期ですからな…あまり豪華なものは出せませんが…」
「いえ、お気遣いなく」
そうか…宮蔵が今日亡くなったんだから、当然喪中にあたるんだよね…。
私は辺りを見回す。今までに見ていない人が1人いた。その人はやはり50歳くらいの上品な女性。かなり気品に溢れている。…若い頃は相当の美人だったんだろうなあ。もちろん彼女が、美留奈たちの母である未来だろう。
私がこんな事を見ている間にも、パパと満夫の話は続いている。
「何人か足りませんね…。ミロ殿は?」
「ああ…母は自室で食べるので、ここには来ません。古谷も付き添うので同様です」
「そうですか。あとは…そうだ、道夫さんのご子息は?」
「そう…それは、気になっています。実大くんと実亜那くんが来ていない。…ただ、冷めていく料理を前にして待つわけにもいかないでしょう。彼らには悪いが、先に食べましょうか?」
それを合図に、みんな食べ始めた。食事中は…最初に宇治原さんが復旧の状態について連絡したときにちょっぴり緊張感が漂っただけで、あとは終始和やかだった。もしかしたら、宮蔵が亡くなったという事もあって、みんなで努めて明るく振舞おうとしていたのかもしれない。でも料理はおいしかったし、あまり厳しくマナーについて言われることもなかったし、その点ではすごく安心して食事ができた。なんだか、あるべき家庭って感じ。
たとえ、それが偽りの姿であっても。

実大と実亜那の話が出たのは、長めの夕食が終わってすぐの事だった。それは、道夫の言葉から始まる。
「実大と実亜那はどこに行ったんだ?まったく…」
「何なら探してきましょうか?」
そういったのはパパだ。それに対して、道夫は首を振る。
「いやいや、わざわざ皆さんに探してもらうほどでもない」
「でも、あなた、やっぱりおかしいでしょう」
南が口を出す。そこに美依夢も割り込んでいく。
「そうそう、実大のヤツはともかく、実亜那くんが来ないのはおかしいよ」
「むむむ…そうですな。手分けして探しましょう」
道夫はしばらく考え込んでから、そう言った。そこで私たちは、家の中を探してまわる。でも、2人の姿はどこにも見えない。私は疾風と美留奈と3人で見てまわったけど、やはり誰もいなかった。私たちは階段に集まる。
「実大君と実亜那君を最後に見かけたのは?」
パパがみんなに問いかけてみた。まずは美留奈が反応する。
「実大くんなら…5時くらいに玄関から外に…ねえ?」
美依夢や私も頷く。さらにそこで、宇治原さんが話に加わる。
「ああ、実大君らしき男の子なら、僕も見ましたよ。5時過ぎに玄関から出てきた、イカツイ感じの男の子でしょ?」
「そうそう、ソイツ!」
「彼なら、西の方に向かって、すぐに家の裏手に向かって行ったけどなあ」
「あ、そっちにアイツの自転車が置いてあるから」
「じゃあ外も見たほうがいいですね」
美依夢や美月さんが反応する。う〜ん、実大の行方はかなり分かっているのね。でも…。
「えっ、ねえねえ?実亜那くんは?4時過ぎに私と疾風と美留奈が見てから、誰か会ってないの?」
そこでは一様にみんなが首を振る。パパや宇治原さんのために、実亜那が女装している男の子だ、と教えても二人の返事はノーだった。
「そういえば…」
ここでおずおずと口を開いたのは中矢さんだった。
「あそこの…1階の西側の物置、お調べになりました?今、カギがかかっているんですけど…あそこのカギ、無くなってるんですよ」
それを聞いて、誰かが「あっ」と声をあげた。…あれ、疾風の声?
「ごめんなさい、中矢さん…」
そう言って疾風は、ポケットからカギを取り出す。
「あれ…?月倉様が、どうしてこれを?」
「さっき…実大に会う少し前に、あそこの扉のカギをかけたんです。その時、ついそのままポケットに入れて…」
疾風はカギをパパに手渡す。パパはそれから、みんなに言った。
「よし、それじゃ…中矢さん、私と一緒に物置に行きましょう。宇治原、お前も来てくれ。他の方で協力していただける方は、外を調べてみてください」
そう言うとパパたちは、物置の方へ向かっていった。一方、玄関扉から一番近いところにいたのは私と疾風だった。疾風はすぐに、玄関の扉を押し開ける。とりあえず、私と疾風が最初に外に出た。
「も〜、実大って人騒がせだよね〜」
私がそういいながら外に出た瞬間だった。急に、視界が真っ暗になる。
「…え?疾風ってば、目隠し?やだなぁ、こんな時に…やるならもっとロマンチックな時にしてよ〜」
私が甘えた声を出してみると、疾風の声が返ってきた。とても冷徹な声が。
「美寛…絶対、俺の手、どけるなよ…」
「え?何で?別にいいじゃん」
私は何の事か分からずに、思わず疾風の手をどけてしまう。一方、同じ瞬間に後ろでは扉が開く。美留奈の声だ。
「ねえ、懐中電灯いるんじゃ…」
私と美留奈の視界に、あるモノが飛び込んできた。もちろん、普段夜屋家の玄関を開ければ、そこに見えるのは噴水だ。そして噴水の上に立つのはアルテミスの像。その両手の弓矢を、こちらに向かって、誇らしく掲げている…はずだった。でも、今は違う。その弓矢の先に、異質なモノが突きささっている。それが、家から漏れる明かりに映えて見えた。最初は全く分からなかった。でも、それは、徐々に忌まわしい形を成す。そう、それは…

首と四肢を切り落とされた、人間…

「きゃあああああああっ!!!!」
私と美留奈は同時に悲鳴を上げ、そのまま倒れこんでしまった。このままずっと意識を失って、これが夢であることにして欲しかった。でも、そんな訳には、もういかない。私たちは、もう既に迎えてしまったのだから…。

そう、これから始まる、あまりに恐ろしい地獄の一夜を…。


最初に戻る前を読む続きを読む

inserted by FC2 system