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やみのうた

幕間


『彼女は、目を瞑った。そして、まるでキスでもするように、少し上を向く。言葉が自然に出る。
「いいのよ、殺しても」』
森博嗣 『夏のレプリカ』より

そう、私は、何かを感じてしまった。
疾風の、目の黒さに…。
この目、この目を…私、どこかで…。
一体、どこで…?
そんなに、遠い昔のことじゃない…。
………。
途端に、閃いた。思わず後ずさりしてしまう。
「…えっ?美寛、どうしたの…?」
「疾風、まさか、まさか……!!」
私は息を呑む。今、私たちは…物置の西側にいた。隣の物置の中では、今もきっと作業が続いているはずだ。でも…今の私には、自分の声が誰かに聞かれようが、関係ない。思わず、私は疾風の右手を握り締めた。

「疾風…まさか、今……死にたい、だなんて…思っていないよ…ね?」

風が通り過ぎる。
月は沈もうとしている。
星もその輝きを失う。
夢のような沈黙。
愛の終わりに似ている。
時が止まった。
闇だけが残っている。

疾風は足を止めた。私はじっと、疾風の目を見つめる。何も通さない漆黒を。
「美寛…?どうして、そんな事…?」
「疾風の目だよ…真っ黒じゃないの…。私、今までにも何度か、同じ目を感じたことがある。理由は分からないけど、だからいつも疾風は他のみんなに、暗そうっていわれるとは思ってた。でも、私は今まで、そんな事、気にしたことも無かったよ…。でも、でも!!気付いたんだから!あの時の…美留奈の目と、今の疾風の目…」
私が思い出していたのは、そう…先週の土曜日、歩道橋の上で見せた…美留奈の目だった。今の疾風の目は、本当に、あの時の美留奈の目と同じ…。
疾風はふっと、息を吐き出した。
「…美寛には、気付いてほしくなかったな」
「な…!?疾風、まさか今までも、そんな事考えてたの!!?」
疾風は私の目を見つめ返す。…何、この気持ち!?怖い…まるで、今私の目の前にいる疾風は、疾風じゃないみたい…。
「この家の邪気、狂気…本当に、おかしくなりそう…美寛は、感じない?」
「それは、ちょっぴり感じはしたけど…」
疾風はふと、目をそらす。
「この家に来てから、強く感じていたの。…生きる意味、死ぬ時期」
「なっ…!?死ぬ時期、って…?」
「何も分からないうちに、一瞬で命を奪われるって事…案外、幸せかも、って」
そんな…疾風、どうしたのよ、急に!!
「俺は…何も、見えなくなったのかもしれない。闇に包まれた、かな。…日野と道夫たちが、正義のこと…話してただろ?あれ…俺は、正しいとは思わないけど、生きていく上では必要なことだと思うんだ。単純に、何かを妄信していたほうが、生きやすいから。でも…俺は、正しいとは思わない。何だろ…信じること、できなくなったのかな。そんな状態で、迷いを抱えて、生きていくのは…辛いよね」
「それなら、疾風は…どうして、生きているの?」
私は疾風を怒らせるつもりで、わざと冷たく言ってみた。すると、私の予想もしなかった言葉が返ってきた。
「分からない…見つけるために、生きてるのかな。それが見つからないか、見つけることを諦めたら…俺は…」
疾風はちょっぴり明るい声でさえあった。私は、さっきから俯いている。疾風の表情は、見えない。そんな、疾風は、疾風は…!!私の思いは、疾風の次の言葉で弾け飛んだ。
「死ぬかも、ね」

パン!!!

一瞬のことだった。私の右手が、ありったけの力をこめて、疾風の頬を叩いていた。疾風は、思わず私の前でよろける。家の奥手から…つまり物置の裏口の方から、警官が顔を覗かせる。でも、私には何も見えない。…自分の顔が真っ赤なのは分かる。涙で、もう前は見えなかった。
「疾風のバカ…ふざけた事言わないでよ!!!」
私は疾風を立たせて、無理やりその胸に飛び込む。
「私の気持ちも知らないで、何そんなバカなこと言ってるの!!?私、何度も言ってるでしょ!?疾風がいないと生きていけないんだって!!それなのに、疾風は、疾風は…!!私を置いて死ぬつもりなの!!?そんなの、絶対許さないからね!!!」
疾風は呆然と私を見ているようだった。でも、私の視界には何も入らない。
「そんなに軽々しく死ぬなんて言わないでよ!!いい、疾風!?私を置いて死ぬなんて、ゼッタイ許さないよ!!!もし本気で死にたくなったら、私を殺して」
「え…?美寛…」
疾風のか細い声が返ってくる。それは今まで聞いたことの無い声だった。
「私はそれぐらいの気持ちでいるよ…疾風とずっと一緒に、死ぬまで一緒にいたいって、いつも思ってる…。疾風…疾風が死ぬなら、私も一緒に死ぬよ。疾風がすぐに後を追ってくれるなら…私も、一緒に行く。ね…疾風、殺して?本気で疾風が死にたいなら、今すぐ、私を…」
「ねえ、待ってよ、美寛!!!」
いきなり視界が開けた気がした。気がつくと、疾風は膝を折ったまま、私の胸に抱きついている。
「美寛…美寛…!!本当に、ごめん…!!!」
私は、疾風の頭を優しく撫でる。そして、ゆっくりと目を閉じて、疾風の耳元に口を近づける。
「…あのさ、疾風は、生きる意味を…探してる?」
「……うん」
「だったら、私のために生きて」
「…え?」
「疾風…疾風は、1人じゃないの…。疾風のことを、本気で大事に思っている人は、いつだって、世界に1人だけ、いるよ?その人のために生きることは、きっと、すごく素敵で、すごく意味のあることだと思う」
「うん…」
「私だって、そうなんだから…私は、疾風のために…疾風のためだけに、生きてるの…」
「うん…」
「疾風がいなくなったら、私は…」
「ねえ、お願い!!美寛、言わないでよ!!!」
「…うん、分かった。だけど…疾風も、もう、言わないでね…」
私は優しく疾風を抱き寄せる。こんなに…子供みたいな、弟みたいな疾風は、初めてだった。きっとそれが、今まで疾風の隠し続けてきた、秘められた場所だったんだ…。私は、そこを見てしまった。だから…これからは、責任があるよね?そんな疾風を、守ってあげなくちゃ…。


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