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やみのうた

第5幕


『異常だ!何から何まで異常だ!みんな、異常なんだ!』
A・クリスティ 『そして誰もいなくなった』より

しばらく私と疾風は、そのままの格好だった。やっと私も疾風も、冷静になれてきている。…ああ、今の会話、絶対警官に聞かれたよね…。そのことが今更ながら、すごく気恥ずかしくなってきていた。
「ごめん…美寛…もう、平気」
「うん、うん、いいよ…疾風。私こそ、いきなりぶったりして、ごめんね」
私たちは立ち上がる。幸い、警官たちは仕事で忙しいらしく、誰も私たちの方には来なかった。…と思ったら…。
「月倉くん」
私は驚いて、後ろを振り返る。…パパだ…。
「ちょっと、こっちに来なさい」
疾風は何も言わずに、パパのほうへついていく。…ウソ、ちょっと待って!私は疾風のほうを、ただ見ることしか出来なかった。パパは二言三言、疾風と話をしているみたい。私は気が気じゃなかった。…そんな、あれは私だって悪いのに、疾風が怒られるなんて…。でも、それもすぐの事だった。いきなり警官が、裏口の方から飛び出してきたからだ。
「雪川警部、大変です!」
パパは疾風との話を切り上げて、すぐにそちらを見る。
「どうした?」
「あの物置の裏口を出てすぐのところで…老婆が死んでいるんです!」
「な…何だって!?すぐに石川先生を呼んで来い!」
警官はあわただしく玄関のほうに走り去る。後でパパに聞いたら、あの検察医のおじさんが石川という名字らしい。一方、疾風は私のところに戻ってくる。
「ごめん、疾風…私のせいで…。パパ、何て?」
「え?美寛と付き合ってるのか、って」
「疾風、何て答えた?」
「ん?正直に言ったよ。はい、って」
「そしたら?パパ、何か言ってなかった?…その、怒ってなかった?」
疾風は言いにくそうに、顔を俯かせる。
「…美寛を、頼むよ…って」
「ホント!?」
「…その前に、泣かすなとは言われたけどさ」
あ…やっぱり、そうだよね。でも…私には、パパの優しさが、嬉しかった。さて、頭を切り替えて…。
「ねえ、ところで疾風?今、老婆が死んでいるって…」
「ああ…。老婆、と表現されるような人はミロだけだろうな。会ったことないから何とも言えないけど」
疾風は私の肩に手を回す。ああ、いつもの疾風だ…。
「とにかく美寛…話は後で親父さんにでも聞けるだろ?今は…ラウンジに戻った方がいい」
「うん、そうだね…分かった」
私たちは手を握り合って、正面玄関のほうに歩いていく。この瞬間だけは、夜よりも黒い闇の中に、まばゆい光が差していると実感しながら…。

私たちがラウンジに戻ると、一斉に視線がこちらに向いた。視線を向けなかったのは、うとうとしている未来と美依夢だけ。それから、中矢さんがいなくなっている。でも、それ以外の人はみんないた。満夫は新聞を読んでいた。道夫と南は並んで腰掛けている。美沙さんはその近くで、呆然と立っていた。古谷さんはラウンジの北側の入り口で、何時間か前とずっと変わらないような姿勢でいる。美留奈は私たちの姿を認めると、すぐに近づいてきた。
「外に…出てきたの?」
「うん、そうだよ」
私はわざと明るい声を出す。
「そう…一緒に出ればよかったな」
「止めといてよかったと思うよ。修羅場だったから…ね、疾風?」
「…えっ?何があったの?」
美留奈はきょとんとしている。…でも、もちろん何があったかは言わない。
「悪いけど…言えないな。朝からする話じゃない」
「あ…分かった」
美留奈はおとなしく引き下がる。…美留奈って、何かと疾風のいう事は素直に聞くのね…。私のやっかみ?
「ん…あれ、寝てた…?」
美依夢が起きだしてくる。美依夢はそのままラウンジを出て行った。南側の出入り口を使ったから、きっと洗面所ね。その時、美依夢と入れ替わりで中矢さんと美沙さんが入ってきた。彼女たちは銀のカートを押してくる。そう言えば、昨日の夕食でもあれを見たなぁ。あんなの、普通の家には絶対ないよね…って、なんだかそんな事も、遠い昔の出来事みたい…。
「皆様、コーヒーをお持ちしました…」
カートの上には、コーヒーカップが12個並べられている。見た目には、どれも同じもののようだ。それから砂糖やミルクも置かれていた。
「ああ、ありがとう」
そう言って、まず道夫が2つのカップにミルクを入れ、それらを手にする。彼はそのうちの一方を、南に手渡した。
「あの…これ、誰がどのカップを使うとか、決まってますか?」
「いいえ、そんなことは無いですよ。どれでもどうぞ」
次に私、疾風、美留奈の3人が順番に手に取る。美留奈は砂糖をいれ、疾風はミルクを入れる。私はもちろんブラックで。私たちが東側の机にそれを置いた頃、南側のドアから戻ってきた美依夢が、カップに砂糖を入れてから手に取った。美依夢が砂糖を入れている間に、今度は満夫が立ち上がって、やはりカップを2つ手に取る。満夫は左手に持っていたカップを、そっと未来の眠っているソファの近くに置く。未来はやっと起きだした。
「ああ…満夫さん、ありがとうございます…」
それはこの場に似つかわしくない、優雅でか細い声だった。その声とコントラストをなすように、中矢さんの控えめながら力強い声がする。
「あの、刑事さんもどうぞ」
「あ、いいんですか?職務中なんですけど…ま、いっか。失礼します」
宇治原さんはミルクと砂糖を両方入れてからカップを手にする。そこまで配られたのを見届けてから、古谷さん、美沙さん、中矢さんが残りのカップを手に取った。美沙さんはミルクを、中矢さんは砂糖を入れたようだ。
私はコーヒーに一口、口をつけた。温かい。ああ、やっぱりブラックだよね。…そう、昔はちょっぴり我慢して飲んでいたブラックコーヒーを、今は何の抵抗もなく飲むことが出来る。やっぱり私も、日々どこかは変わっているんだな…私がのんきにそんな事を思っていた、その時だった。
「うあっ……」
声にならない声が漏れる。最初は誰が何て言ったか、全然分からなかった。私は驚いて辺りを見回す。
「あ……あっ…なに、こ…れ…」
横を見た瞬間に、異変に気付いた。…美依夢だ!美依夢が喉を押さえて、目をきつく閉じている。美依夢は乱暴にカップをテーブルの上に置き、そのまま倒れこんでしまった。満夫たちが驚いて駆けつける。
「お、おい、美依夢!!?」
美依夢の小麦色の顔は、心なしか白くなっていくようだった。唇は青白い。満夫と道夫がすぐに判断を下す。
「…無色無臭、痙攣…きっと砒素だ…!おい、中矢、水だ!!洗面所の水を出せ!!…未来、手伝えるか!?」
「おい満夫、運ぶぞ!吐かせなければ!!それから古谷、救急車だ!!」
古谷さんと中矢さんは慌てて駆け出す。私たちはただ呆然と、苦しむ美依夢を見つめるしかなかった。未来は意外にも機敏に立ち上がり、美依夢を運ぶ満夫と道夫を追う。そうか、未来は元看護士だっけ…。それにしても…。
今更、ある事実に気がついて、私の心臓は止まりそうになっていた。…だって、だって…あのカップ、全く見分けが付かなかったのよ?他の人だって、みんな口にしたのに…美依夢だけが、毒にあたった。それは、まさか…。
無差別殺人…?私が、疾風が、死んでいたかもしれないって事…?

救急車は意外とすぐに来たけど、私たちにとっては遥かに長い時間のように思われた。美依夢はすぐに病院に搬送される。私は…何も言わずに彼女を見送った。どうか…無事でいて…。
この事件が警察に与えた打撃は計り知れなかった。あとで分かる事になるが、ミロの死亡推定時刻は午前3時から4時の間。つまり…警察が来る前の話ってこと。これならば警察も弁明の余地はあるけど、美依夢の事件は…警官が何十人もいる真っ只中で起きてしまった。きっとメディアは、現場の苦労を知らずにそれを詰るのだろう。
私たちはそれから取調べを受けた。取調べをしたのは、私と疾風だけ全然知らない警官だった。他の人はパパがしたらしいから、きっと私と疾風は部外者かつ身内、という事で特別に計らわれたんだよね。結局、私と疾風が解放されたのは、この日の午後6時ごろのことだった。私は帰りに、疾風と遅い夕食をとる。2人とも、あまり喋らなかった。それは、本当に珍しいこと…。夜屋家を出る前に、美依夢は一命を取り留めた、とだけ伝えられた。満夫たちの迅速な処置と、美依夢自身が大量にはコーヒーを飲んでいなかった事がよかったみたい。
でも…実大、実亜那、民人、美月、ミロ、そして日野は…わずか一夜にして、死んでしまった。彼らはもう、帰らない。

それが…悪夢の終わりに残った、儚い現実だった。

さて…それからしばらくは、何事も無く過ぎていく。…もちろん、この「何事も無く」っていうのは、一連の夜屋家事件に関する話。現実的には隣の市で、男子高校生のバラバラ死体が連続して見つかったりしたし、私自身に関しては、もうとんでもない事件が起きてしまったんだけど、その話はここでは省略ね。特に後者は、話し出すと自分でも歯がゆいやら恥ずかしいやらで、もう絶対話さない。…それで、今日は8月2日、木曜日。私の18歳の誕生日。少なくとも今は…とても、嬉しい気持ちだった。私は疾風と一緒に、街中のファミレスにいる。今日はお詫びの意味もこめて、疾風のおごりなの。それもあって、私はペンネアラビアータにクロックムッシュを食べたあと、普段ならまず注文しないLサイズのチョコレートパフェを食べていた。
「美寛…本当に、昨日一日、ロクな物食べてなかったんだな…」
疾風はちょっぴり呆れ顔。ちなみに疾風の目の前には、アイスコーヒーがおいてある。もちろん、これはドリンクバーなので料金はそれほどかからない。
「うるさ〜い…誰のせいで、私が昨日ずっと、あんな気持ちでいたと思ってるのよ〜?」
私はアイスクリームを口に頬張ったまま話す。
「責任は俺にも半分はあるけど、残りの半分は美寛の勘違いでしょ?」
「ウソ〜!?あれは疾風とお姉ちゃんのせいでしょ〜?」
いや、ホントは100%私が悪いんだけど…。
「もう…ごめんね、美寛。…今日は何でも、美寛の言う事聞くからさ」
「やった!…じゃあ聞くけどさ、疾風?」
私はここから、声を潜める。
「…美留奈の家のこと、考えた?」
「美寛の誕生日プレゼントのことで、それどころじゃなかった」
あ、上手いこと言うなぁ。
「じゃあ、今から考えるのに付き合って」
「もう…分かったよ。…親父さんにまた何か聞いたの?」
「ん?まあ、色々なところからちょっとずつ」
実際には大半をパパに聞いたけど、ちょっぴり宇治原さんを使っちゃったし、美留奈から聞いた話も混ざっている。
「じゃあ、最初からね。まずは、宮蔵の件。新たに分かったことがあるから」
「…ってことは、やっぱり宮蔵は…」
「うん、自然死じゃない。殺されたの」
疾風は私の目をじっと見る。その目には、曇った輝きがあった。よかった…澄み切った目を、していない。私はそれだけ確認してから、話を続ける。
「やっぱり砒素?」
「ううん…私じゃ詳しい説明はできないんだけど…その、強心剤の逆って言うのかな?」
「えっと、つまり…?」
「宮蔵は心臓を患っていた、って美留奈から聞いたでしょう?だから、普段は注射で強心剤を打つはずなのに、その中身が実際の逆の効果の薬に変わっていたの」
「なるほど…それが原因で心臓に異常が…ってことか」
「うん。こんな感じでしか説明できないから、ちょっぴりもどかしいけど」
「ところでさ…」
疾風は一口コーヒーを飲んでから聞く。
「その注射、宮蔵本人がするわけじゃないだろ?誰がするんだ?」
「それは…未来らしいの。でも、その…注射器に入れる前の、薬瓶の時点で中身が違っていたらしくて」
「そうか…簡単に言うと」
「誰にでも可能性があるって事」
私はちょっぴりため息をつく。
「美寛、ここからこれ以上考えるのは無理だよ。次の話」
「うん、そうだね。…次は、山の爆破の話。あれはやっぱり、ダイナマイトだったの。…といっても、ここでもこれだけしか情報は無いんだよね。時限式で、時間になるとドン!ってだけ。だから…この事件からも、犯人は一切分からない、というか誰にでも出来るのよね」
「そういえば…あの予告状は?具体的にはなんて書いてあったんだ?」
「あ、コピーがあるよ」
「……えっ?」
疾風は目を見張る。いつもの疾風とは全然違う表情で、私はちょっぴり嬉しくなった。
「宇治原さんに頼んで、内緒でコピーしてもらっちゃった。パパにも内緒だからね」
そう言って私は、カバンからコピー用紙を取り出す。そこにはこう書かれていた。

「来たる7月28日土曜日午後、この市に邸を構える夜屋家で、不幸な惨劇が起こる。止めに来られたし」

「…しかし今時、新聞紙を1文字ずつ切り抜いて手紙にするやつがいるのか…」
「そう、古臭いよね。…でも、この予告状、もう1つ不審な点があってね…」
私はすぐにその用紙をしまう。こんなものを持ってるところを他人に見られたら、どう誤解されるか分かったもんじゃない。
「この予告状、パパ宛で届いたらしいの」
「…はっ?親父さんを名指しで、ってこと?」
「うん。K県警捜査一課、雪川隆臣殿親展、みたいな事が書いてあったって言ってた」
「どうして、親父さんを名指しにするわけ?…それは昔、親父さんが絡んだ事件に、何かつながりのある誰かって事かな…?そこで何かトラブルがあって、親父さんを逆恨みしている…とか」
「うん、多分。でも全然わかんない…確かにパパ、誰かの恨みを買うような職業ではあるんだよね…」
「拡大解釈すれば、どんな職業でも誰かの恨みは買うよ。…ところで美寛、これいつ届いたの?」
「金曜日って言ってたよ」
つまり事件の前日。これは明らかに、その時点で「計画」が出来上がっていたことを意味する。
「そうか…。でも、美寛…それだけじゃ何も分からないよ。ここからも絞れそうに無いね。次に行く?」
「うん、そうしよう。…じゃあ、きっと今回最大の謎。実大の事件」
「あれは…正直、考えたくない」
「もう、弱気なこと言わないでよ!…でも、私にも…全然分からない」
「この前言った2つの可能性、どうだった?」
「…そうよ、疾風!あれ、両方ダメだったの!」
私は疾風に説明する。2つ目の経路の階段には埃が積もっていて、パパが見たときには階段を下りてきた古谷さんの足跡しかなかったこと。そして3つ目の経路も1つ目の経路と同様、鍵が固くて糸や氷のようなトリックでは鍵がかからないこと。
「…そうか…。じゃあ、どうしたら…?美寛、あそこの換気口は?」
「ダメ、あの狭さじゃ人は通れないよ」
「…それ、胴体の話だろ…?美寛がパフェを食べ終わったから言うけどさ…手足とか頭だけなら入らない?」
いきなりエグい事を言うなぁ。
「それでもダメ、疾風。それは私だって考えたよ。別のところで殺して、後から死体の一部だけ物置に投げ入れるってことでしょ?でも、今回はちゃんと物置の床に跡が残ってるの。物置の裏口まで死体を引きずった跡も残ってるし…その、鉈の跡とか、その中に肉片があったりするし…そしてね、疾風?その肉片は、間違いなく実大のものなの。DNA鑑定した結果なんだから、それは間違いないよ。殺害も切断も、あの部屋で行なわれている」
「…う〜ん。俺としては、本当に隠し通路がないか知りたいけど」
「それは絶対にないってば!屋敷自体が動くとか、そういう機械仕掛けのトリックもないの」
「何かさ、考えれば考えるほど、不可能に思えるんだけど。だいたい何でそんな事したかも、さっぱり分からない」
「うん…それは、そうだけどさ…じゃあ次にいく?」
「…そうだね、そうしようか。ちょっと待ってて」
疾風はドリンクバーに飲み物を取りに行く。私はさっき注いできたホットコーヒーに口をつける。疾風はもう1杯、アイスコーヒーを注いできたようだ。疾風が席に座ってから、私が口を開く。
「次は、実亜那の事だよね。まず、あの死体は実亜那だったって正式に確認されたの。歯形が一致したから。死亡推定時刻は、燃えているから詳しくはわからない。でも、間違いないのは、死んでから燃やされたって事。直接の死因は、刺殺だったみたい」
「そうか…うん、分かった。それから?」
「あとね…離れの焼け跡から、変なものが2つ見つかったの」
「変なもの?何?」
「1つは変な機械の残骸。きっと時限発火装置の一部だろうって。もう1つがよく分からないんだけど…血の付いた、青いビニールシートの焼け残り」
「血の付いたビニールシートねえ…」
「うん、結構な大きさだと思うよ。美留奈に聞いたら、ロール状にしてしまっていたんだって」
「は?ロール状…って事は、巻いてたってことだよな?」
「うん、かなり長いから。…でも、焼け跡で見つかったものは何度も折りたたまれていたらしいの」
「つまり、誰かがそれを使った?」
「そういう事になるよね。これは、何か暗示的じゃない?」
「確かに。もしかして、それが燃やした理由?」
そこで私は、小さく首を振る。
「う〜ん…それもあるかも知れないけど、もっと大きな理由があったと思うの。…あのね、先にミロの話をしていい?」
「え?いいけど…そういえばミロ、死因は何だったの?」
「それがね、転落死だって。で、離れを燃やしたのは、このためだったみたいなの」
「はぁ?どういう事?」
私は一息ついてから話し始める。
「あのね…疾風、全然気付かなかったでしょ?あの時、離れと一緒に…宮蔵とミロの部屋のベランダが燃えていたことに」
「えっ…!?全然、気付かなかった…って、ベランダだけが燃えたのか?」
「うん。あの部屋のベランダと道夫と南の部屋のベランダは、木造だったらしいの。他の部屋のベランダは、家と同じ石造りって言うか、そういうものだったんだけど、その2箇所のベランダは後から増築したんだって。つまり、犯人は離れを燃やしたかったんじゃなくって、離れを燃やすことでカモフラージュして、ベランダを燃やしたかったんだと思う。あ、でも…完全に燃えたわけじゃないんだよ?その、かなり…朽ち果てた、って感じ」
「そうか…誰かが上に乗ったときに壊れやすくなっていた、って事か。ミロは…気付かなかったのか?」
「うん、そうみたいね。そして…もう1つのポイントはね、ミロの部屋に電話がかかっているの」
「電話…?誰から?」
「このあたりが、賢いよね…美月さんのケータイ」
「ああ、そうか…。きっと犯人が美月さんを殺害した時に、奪ったんだな…」
「これで疾風も、分かったでしょ?ミロがどうやって殺されたか」
「ああ。ミロに『ベランダに出て見ろ』っていうだけだろ?普通、自分の家のベランダが急に脆くなっているなんてありえないからな。それに真夜中だっただろ?」
「そう、まず分からないよね。…遠隔殺人」
「ミロが死んだのは…午前3時から午前4時の間、だっけ?」
「そう。私たちが、離れが燃えているのを見つけた直後…から、民人くんが死んでいるのを見つけたり、日野が死んでいるのを見つけたりしていた時。つまり、一番ドタバタしていた時間帯だよね」
「はぁ…それも、誰にでもチャンスがありそうだな。実亜那に話を戻そう。他に変わったことは?」
「ううん…死体の損傷も激しいし、ほとんど無いの。あれが実亜那くんだって分かっただけでも儲け物、ってくらい」
「そう…」
私と疾風の会話は、一度途切れる。ちょっぴり、重苦しい沈黙。
「いいや、どんどん話を進めたほうが良さそうだな」
「うん、そうだね、疾風。…じゃあ、次は民人の件」
「ああ。あれが…一番考えやすいかもしれないな」
「うん、ダイイングメッセージだもんね」
「その前に、それ以外のことから何か絞れないわけ?」
「ああ、死亡推定時刻から、ってこと?う〜ん、それは無理。だって死亡推定時刻は夜中の12時から1時の間だもん。みんなが解散して寝静まった直後だから…。それに、進入経路にしても、パパか宇治原さんがいた場所を通らずに行くことは簡単よ。自分の部屋の窓から出て、窓から入ればいいんだから。…民人くんの右手が窓を指差していたでしょ?きっと、あれは犯人が窓から入ってきたっていう…」
「そうか?」
ここで疾風が初めて話に割り込む。
「えっ?だってそうでしょ、疾風?」
「美寛…思うんだけどさ、例えば胸にナイフを突き立てられて、まさに今死のうとしている人間が真っ先に伝えようとするのは、犯人が誰かって事だろ?犯人がどこから入ってきたかなんて、あんまり伝える意味がないんじゃないの?」
「え…じゃあ、あれは窓を指しているんじゃないの!?」
「違うだろ…きっと」
「え、じゃあ何?何を民人くんは表そうとしたの!?」
「さあ…それが分かったら苦労はないよ。ところで美寛、一度民人の姿勢を思い出したほうがいいよ」
「…うん、そうだね。じゃあ、思い出そう。まず、手は両方、大きく広げていたよね?手だけ見れば、YMCAのYの字をしている感じ」
「…ああ、そうだった。左手は普通にパーで、右手は…窓を指差していた。右手、もっと詳しく思い出せる?」
「えっと…普通に、人差し指で窓を指しているだけじゃ…なかったっけ?」
「いや、もう1つおかしな事があった。親指が上にたっていた。…窓を指すだけなら、親指をたてる必要はないだろ」
「やっぱり、あれは窓を指していたんじゃない…って事?」
「ああ、きっとね。それで、足は…60度くらい開いていたかな。でも、これは…途中だったかも」
私は驚いて疾風の目を見る。
「えっ?途中?」
「前も言ったけど、民人は足が悪いんだ。普通の人なら簡単に出来る足を広げる、っていう行為のために、わざわざ左足を机の角に引っ掛けていた。きっと…相当大変だったと思う。だから…もしかしたら、民人はもっと広げようとしていたのに、その途中で力尽きた…そういう可能性もあると思うよ」
「つまり、例えば90度とか?」
「そう。…それなら、何になる?」
「きっと…Xでしょ。…あ!それから、右手の形は…人差し指を上にして、手のひらを前にすると、右側の部分がLに見えなくも無いよね。ってことは、犯人はXLサイズの服を着ているとか!?だとすると…道夫が怪しいよね…」
疾風はそれを聞くと思わず苦笑した。
「美寛ちゃん…普通、死に際の人間が犯人の服のサイズにまで気を回すと思う?」
「いや、それは…思わないけど…じゃあ疾風はなんだと思うのよ?」
「ごめん、分からないよ。あと、消えた車椅子は?見つかった?」
「あ、うん、見つかったよ。夜屋家の東側、う〜んと、日野が死んだ部屋の真下あたりに投げ捨てられていたの。あそこ、少し奥まっているから死角だよね」
「何で外にあったんだろう?まあ、いいか…次に行こうか?」
「そうだね、次に行こう。次は日野。ガムテープ目張り密室」
「あれこそ、美寛の好きな推理小説の領域でしょ?何であんな面倒くさいことをやるわけ?」
「それは犯人に聞いてよ!私には理解できないもん」
「分かったよ…それにしても、あそこから抜け出す方法なんてあるのか?」
「そうだよね、ガムテープでしっかり内側から固定されていたのは、パパも間違いじゃないって言ってたし…」
「そういえばさ…」
疾風はふと、思い出したように口にした。
「なんで日野の死体って、ベッドの奥に引きずられていたんだ?」
「えっ…?」
「だって、あれ…血の跡が付いているって事は、わざわざベッドの奥に引きずったんだろ?血の跡が付いているなら、ベッドの奥に運んだことくらいすぐに気付くじゃない。無意味な行動じゃないか?」
「う〜ん、例えばドアの目張りをするときに日野の死体が邪魔だったから…とか」
「だったらベッドの手前まで引きずれば十分だよ」
それもそうね。…もう、一体何がどうなってるんだろう?
「俺、よく見てなかったけどさ…窓の目張りって、完璧だった?鍵はロックされてた?」
「うん、窓は私が入ってすぐに見た。目張りはともかく、ロックはされていたよ。…疾風、でもあそこの窓の外には何もないよ。ベランダ、ないんだから」
「分かってるよ。…じゃあ」
「秘密の通路はダメだからね」
「……」
疾風は黙り込む。もう、それに頼りたい気持ちは分かるけど、絶対ないものはないの!
「駄目だ、埒が明かないな。…次に行こうか」
「うん。次は…新しいことがいっぱい分かったから、もっと話せると思う。…美月さんのこと」
「ああ…俺も詳しいことは全然聞いてない。死因は溺死だろ?」
「うん、そう。でも、美月さんの件もまたまた不可解なの…死体を一度、動かしてるみたいなの」
「…は?」
疾風は首をかしげる。
「あのね、美月さんが殺されたのは午前0時から1時の間。だけど…午前3時半から4時半の間に、誰かが1度、死体を動かしたらしいの」
「動かした?」
「うん…美月さんの死体は、全身濡れていたの」
「そうなんだ…あの時、美月さんの死体は見えなかったから」
「そう。つまり、美月さんは…きっと、噴水で無理やり溺死させられて…そのあと、噴水に放り込まれていたみたいなの。その状態だと、ほら、石川先生の話を思い出して…あまり死斑は出ないんだ」
「ああ…まあ、それは分かった」
「でも、その後、犯人は何時間かして、死体を引き上げた。それで、噴水の前に仰向けに安置したみたいなの。…祈るように胸の前で手を組んでいて、目は閉じられていたって」
「嫌な言い方だけど…死に化粧、ってこと?」
「うん、きっとね。…つまり、犯人は美月さんを殺すにあたって、時間を隔てて2回の作業をしているわけね」
「は〜ん…つまりこれは、アリバイの問題って事か」
「うん、そういう事。もちろんそれにはパパも気づいていたから、聞いたみたいだよ。それで分かったのは、こういう事なの。…えっと、いい?」
私はカバンから、先ほどのコピーとは別の紙を取り出す。
「まず、午前0時から1時の間にアリバイがあるのは、美留奈と美依夢と私だけ」
「…え?俺は?」
「疾風は、0時半まで、1人にさせて、って言ったじゃない。だから」
「ああ、そういう事…そうか、美寛は0時半まで親父さんといて、それ以降は俺といるから、か」
「そう。美留奈と美依夢は…何だか、やっぱり2人とも寝付けなかったみたいで…その間ずっと、美留奈の部屋でお喋りしてたって。私も2人の話し声は聞いたから、たぶん間違いない」
「何だか怪しいけど…美寛も言うなら本当だろうな。それに、美依夢は…」
「うん、被害者だもんね…。それから、午前3時半から4時半の間にアリバイがあるのは、まずずっと満夫か道夫のどちらかと一緒に行動していたパパ、それからずっと2人でいた私と疾風、それからずっとラウンジにいた未来と中矢さんと美留奈と宇治原さんね。南と美沙さんと美依夢はトイレに行っていていなかった時間があるらしいし、古谷さんもあの部屋に来たのは4時ごろだった」
「つまり、両方の時間にアリバイが無いのは…」
「満夫と道夫と南と古谷さんと美沙さん」
「5人か…大きな進歩だな」
「でしょ?」
「もっとも、美寛好みのトリックが仕掛けられていないことが前提だけどね」
そう…それは私も、ちょっぴり気になっているところだけど…。
「よし、とにかく最後に行くね?美依夢のこと」
「ああ…でも、あれは…」
「そう、私もすっごく困ってるの。だって、あれこそ…どうやって美依夢を狙ったのか、全然分からない」
「そうだな。…この犯人は、的確に、夜屋家の子供を狙っている。…日野は何らかの口封じのため、ミロは現在の遺産の掌握者だと考えれば、まぁ納得はいくな。そう考えると…俺にはこれが、無差別に狙ったものだとは思えない」
「うん、私もそう思う」
「まず、あのカップには差異は無かった。誰がどれを使うかなんて全く決まっていないし、そもそも目印らしきものも無い」
「そうだよね。じゃ、まず順番を考えよう」
「ああ。まず道夫が2つ手に取った。次に美寛、そして俺、それから美留奈。その後すぐに美依夢が入ってきた。この時、ほぼ同時に満夫が2つカップを手に取る。それから宇治原さんが取って、最後が古谷さんたち…合ってる?」
「うん、合ってる。じゃあ…まず、最初から入れていたっていうのは無いはずなの。あのコーヒーを作るときは、別の警官が見張っていたらしいから。その時、中矢さんにも美沙さんにも不審な素振りは無かった」
「ああ。それに、そんな事をしたら明らかに無差別になるよな」
「でしょ?だから、可能性は2つ。砂糖に入っていたか、コーヒーに入っていたかだよね」
「でも美寛、砂糖は無理だろ?宇治原さん、入れてたぞ?」
「そうだよね…あ、じゃあミルクに解毒剤が…って、それもダメか。美留奈と中矢さんも砂糖だけ入れて飲んで、何の異常も無かったもんね。じゃあやっぱり、コーヒー自体に…」
「ああ、それしかないよな。だとすると、怪しいのは満夫と道夫と美留奈…」
「うん、それはそうだよね。でも…道夫がやるのは、明らかに賭けじゃない?それに、美留奈がそんな素振りを見せなかったのも、絶対間違いないよ」
「ああ、美留奈に関しては俺もそう思う。…でも、だからといって満夫がやるのは無謀だ。砒素をたらすなんて、普通気付かれるだろ。…ところでコーヒーに砒素が入っていた、っていうのは事実?美依夢が何か別のもので…」
「あ、ううん、それはないよ。コーヒーの中に、致死量を超える砒素が検出されたから」
「よく助かったよな、美依夢…」
「うん、本当にそう思う。…今はもうすっかり回復して一般病棟にいるって美留奈が言ってたよ」
「そう…でも、本当に方法は、分からないな…」
疾風はコーヒーの残りを飲み干す。
「美寛…これで、終わったと思う…?」
「え…」
私は考え込む。でも、冷静に、冷静に考えてみれば…。
「終わらないよね…だって、仮に満夫や道夫が犯人だとしたら、あと2人…美留奈と美依夢を殺さないと、遺産にたどり着けないんだもん…」
「だよな…それは未来や南の犯行でも同じこと」
「他の人は?例えば古谷さんとか…」
「薄いよね。俺がずっと前に言った仮説を使うにしても…あまり現実味が無い。それより美寛…?」
疾風は真剣な表情で、私を見る。
「動機だけで言うと、もっと濃い人間がいるんだよ…」
動機だけで言うと?動機だけで、遺産を相続するという目的だけで…って、まさか!!
「分かったよね?」
私は小さく頷く。そう、動機だけで一番可能性の高い人は…他の5人の子供が襲われた今では…。
夜屋、美留奈だ…。でも、まさか…?
「結局…多少怪しい人間は絞れたけど、全然だね…美寛、今日はこれで終わりにしない?」
「う〜ん…」
疾風は小さな声で囁いた。
「本当はね、今日くらい…もっと美寛のかわいい笑顔を見ていたいの」
チョコレートパフェより甘いその言葉に、私の顔はパフェの上のさくらんぼみたいになっていった。

さて…その翌日、思わぬ事態が明らかになる。その情報はその日の朝、宇治原さんからの秘密の連絡で明らかになった。そのニュースは大きなショックだったし、それより何より、この事件が終わっていないことを予感させた。
夜屋美依夢が、何者かに連れ去られた、って…!!?


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